沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩411 開化しなかった文明としての日本

2013年07月08日 10時12分42秒 | 政治論

 この国の、とりわけ戦後、悪辣な状況で現状を保守停滞基調に落とし込み、現在も益々有効な自律的政策立案を打ち出そうとしない、堕落し驕慢にふんぞり返っている官僚たちは、例えば対米的に彼等の機嫌を損ねないように(沖縄問題などは特に障りのない非問題化画策をし)彼らの言うとおりに国土(とりわけ沖縄本島)を好きなように使ってもらい、殺人機オスプレイなど「どうぞ!どうぞ!」とばかり(沖縄はおろか本土を)縦横に飛翔させ、辺野古も高江も普天間も今までどおり「進展なき威圧感増大傾向」を放置したまま、無責任に、政治家にはSACO合意踏襲だけ金科玉条に言わせ続け、「負担軽減」を空疎に連呼させながらその場その場をごまかし続けている。

 戦後、彼らに運命的に欠けてしまった「国士」的熱情は、そのままこの国の理念的崩落を決定づけ、言ってみれば世界性の喪失という「鎖国」を江戸期よりはるかに不健全に無作為に、かつ無意味に準備してしまった。

 鳩山が潰れた地点(政治理念の実現を企図しながら脆くも潰え去ったこと)が、この国の戦後社会の原点回帰であり、この原点には一切の発展的希望的要素は皆無だ。だから急速に世界化しつつあるもうひとつの極、中国への対し方、見方、を間違える。

 韓国の方が現実には対中策を有効な国策として位置づけている。勿論軍事戦略だけを重視して総合的見地を欠いた日本の防衛省あたりの国策では戦前の二の舞にしかならず、外務省官僚の情報集積と分析力に期待しなければならないのに、こいつらは全く仕事をしなくなってしまった。

 「政治主導」を「決める政治」といってカッコつけたのは結構だが、間違った決定をして誤った方向へ導かれるより、官僚の保守停滞の方がまだましだ。かれらにある明確な絶望感がこの国の現状を言い得ている。彼らが希望的に理念的に国士的に蘇るなら「官僚主導政治」で大いに結構、といいたいところだが、事実は原発再稼働問題にみるとおり、あり得ない破滅的選択にさえ躊躇しない国情にあるということなのだ。(つづく)