沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩407 日本の生き死に 18 慰霊2

2013年06月25日 19時35分56秒 | 政治論

 沖縄戦は特殊な軍略(本土防衛の捨石、本土決戦の引き伸ばし)に基づく異例の地上戦(日本唯一の地上戦、ではなく、民間人を巻き込んだ市街山地戦)ということができるが、それでも被害県民は原爆や空襲(東京など)の被害者と同列に看做される必要がある。つまり通常の戦争犠牲者にほかならない。

 しかしながらかつて他のどんな場所での戦闘にも見られなかったか、あるいはそれがあっても余り問題視されなかったであろういくつかの特徴的な戦争真実(集団強制死、軍による一般人殺害、壕からの追い出しなど)が展開された事実には、今にして到底許されない非人道的意味があるはずだ。そして一番重要な特異点はこの戦争が(8月15日以降)他の地では行われなかったのに、ここでは占領支配という形(アメリカー世)で、又占領者の軍事展開がその後も継続してこの地を利用して行われている(在沖米軍基地)という、言わば未だに戦争の気配を消し去っていないという事実だ。

 戦争の傷は癒えない。体験者の4割以上がPTSDに苦しめられている事実の可能性についての報告があった。この地で展開する米軍の存在が「戦争」の記憶をここに押しとどめ続けている。公共放送もあるいは各種メデアもここでは日常的に「戦争について」語る。だから沖縄と沖縄戦は、日本国のなかでは特殊にして特異な扱われ方をされる必然性を有する。

 6月23日は、沖縄戦における組織的戦闘の終結を意味するのではない、この日を「慰霊の日」とするのは、4月28日を「屈辱の日」とするように、第32軍の首領たちが無様に自決し去ったあと残された沖縄県民が「玉砕」に向け南下し文字通り皇国の皇民たる最後の一人まで戦わされた悲劇の始まりだからだ。9月7日降伏調印までそれは終わらない。(つづく)


詩407 日本の生き死に 17 慰霊1

2013年06月25日 08時52分30秒 | 政治論

 沖縄戦。

 戦後の、徐々に支配的となる米軍民政府統治、占領地意識に包まれた米兵犯罪、地位協定の沖縄県民に対する奴隷的植民的非人間的行為の数々、基地負担軽減など洟も引っ掛けない米国政府の沖縄軍事要塞化計画とその実行、沖縄の苦難受難に対し一度として寄り添うことのない日本政府の官僚的施策、そして何よりも沖縄戦。

 広島長崎の原爆はその日(8月6日、9日)一瞬にして数万の人間存在を消し去ったが、その日から現在まで絶える事なく多くの「後遺症」患者を増産し続けてきた。戦後66年目にして今度は福島で自ら準備した核施設の爆発で日本人にとって何度目かの被曝を繰り返すことになった。戦後体制を容認した「自業自得」といえばそれまでだが、現在もそうした原発立地自治体は「生活生存のため」再稼働する方向へ流れようとしている。彼らに「フクシマ」は何を情報として伝えたか、あるいは彼らは「フクシマ」から何を知ったのか、この国は中央から地方まで正常な人間的反応を阻害する「何か」とんでもないものに支配されているとしか言い様もない。しかもこの国の総理大臣は自ら出向いて諸外国への「原発セールス」に励むという、気違いじみた行動に走っている。

 さて沖縄戦は先ず1945年3月26日、那覇の西40キロにある慶良間諸島での戦闘から始まった。所謂「集団強制死」事件が起きた。これはその後日本兵が駐留した土地に特徴的に生じた極めて異常な異様な事件であり、同時に軍が住民を「スパイ視」して虐殺するということも起きた。降伏した住民が投降を促すために戻ってきて殺されるし、食糧難から畑の作物を、夜間盗ろうとして殺されもした。こうしたできごとは「軍隊は住民を守らない」という明瞭な教訓を垂れた。この教訓は戦後の沖縄に「非戦」の思いを島ぐるみで貫く意思となって顕現している。

 普天間返還という「負担軽減」は、如何にしても「代替」としての辺野古新設にはなり得ないことを、常識的にそうだと考えている、140万県民が住する土地と空間、海域に軍事的展開を容認するいわれは全くない。彼ら異国の軍隊の発するけたたましい音響に絶えずさらされるこの特殊な環境を、「国の安全保障」から我慢するように日本政府が言うならそれはつまり明かな「軍国主義」であり、現在の県民の「安全」は国の保障対象にならないということだ。当然人権問題そのものだが、彼らは今度は憲法を「国民の義務」の方向へ転換しようとしている。沖縄から見る限りこの国は「国民の権利」は到底守られそうにないので発想を逆転しようというわけだ。(つづく)