沖縄戦は特殊な軍略(本土防衛の捨石、本土決戦の引き伸ばし)に基づく異例の地上戦(日本唯一の地上戦、ではなく、民間人を巻き込んだ市街山地戦)ということができるが、それでも被害県民は原爆や空襲(東京など)の被害者と同列に看做される必要がある。つまり通常の戦争犠牲者にほかならない。
しかしながらかつて他のどんな場所での戦闘にも見られなかったか、あるいはそれがあっても余り問題視されなかったであろういくつかの特徴的な戦争真実(集団強制死、軍による一般人殺害、壕からの追い出しなど)が展開された事実には、今にして到底許されない非人道的意味があるはずだ。そして一番重要な特異点はこの戦争が(8月15日以降)他の地では行われなかったのに、ここでは占領支配という形(アメリカー世)で、又占領者の軍事展開がその後も継続してこの地を利用して行われている(在沖米軍基地)という、言わば未だに戦争の気配を消し去っていないという事実だ。
戦争の傷は癒えない。体験者の4割以上がPTSDに苦しめられている事実の可能性についての報告があった。この地で展開する米軍の存在が「戦争」の記憶をここに押しとどめ続けている。公共放送もあるいは各種メデアもここでは日常的に「戦争について」語る。だから沖縄と沖縄戦は、日本国のなかでは特殊にして特異な扱われ方をされる必然性を有する。
6月23日は、沖縄戦における組織的戦闘の終結を意味するのではない、この日を「慰霊の日」とするのは、4月28日を「屈辱の日」とするように、第32軍の首領たちが無様に自決し去ったあと残された沖縄県民が「玉砕」に向け南下し文字通り皇国の皇民たる最後の一人まで戦わされた悲劇の始まりだからだ。9月7日降伏調印までそれは終わらない。(つづく)