一人のまじめなテロリストが、安倍晋三に銃口を突きつけ「死にたくないか」と問い、やつが「死にたくない」といったなら、「その気持ちが、目の前に同じ人間の爆裂死体を見なければならなかった戦争体験者の、お前さん方にほんとうに言いたいことだ」と、彼テロリストは言うだろう。参謀本部のお偉方が「やってみなきゃわからない」程度の戦争感覚で「一億玉砕」必敗戦争に突入したのがあの戦争だよ。二度と同じ体験はしたくないと言い、子や孫にさせたくないと言う。沖縄ではほぼ毎日のように公共放送で「沖縄戦」に関する報道レポートを流している。これを、事実に基づかない作り話で繰り返すなら、まさしく戦前の皇民化教育と同じ心理操作となろうが、むしろ、自ら語りたがらないほどに「痛切な」体験として存在するそれを、我らのおじいやおばあたちは、様々な心情、複雑な感情の中に「選み取った」ひとつひとつの言葉で、子や孫、国や政治家に言い伝えようとするのだ。沖縄ではまさしくこれを現実主義という。相対化し日和見化する現実主義もどきが、「ありのまま」に見ているという現実は、実は物事の全くの一面でしかなく、何ら痛切にして切迫したものの真相には肉薄しない。(つづく)