創建が弥生時代ともいわれる、最古の神社の一つ、葛城御歳神社(奈良県御所市)の宮司が、
神社の祭祀と稲作について語る中で、
「歳=稔=稲」
と説明していた。
稔は、音読み:ねん、訓読み:みのり である。
日本列島の気候では、夏の陽の光が盛んなときに稲がみのり、冬の陽の光が衰えるときには稲がみのらない。
つまり、稔る期間が一歳ならば、一歳は夏の六カ月となる。
以前、当ブログで、古代では、1年を表年と裏年に分けて2年と勘定していたと説明した。
表年は、冬至から夏至までの期間、つまり、日が長くなり精気が拡大する期間であり、
裏年は、夏至から冬至までの期間、つまり、日が短くなり精気が縮小する期間である。
今回取り上げた宮司の話から解釈すると、
表年は、種もみを植えて苗となり、穂をつけて稔り収穫するまでの6カ月間を
裏年は、田を休ませている秋から冬の6カ月間
となる。
いずれも
12カ月を2年と見做していたので、
記紀に登場する人物の寿命は長く、
神武天皇の寿命は127歳とされているのも納得できる。
神社の祭祀と稲作について語る中で、
「歳=稔=稲」
と説明していた。
稔は、音読み:ねん、訓読み:みのり である。
日本列島の気候では、夏の陽の光が盛んなときに稲がみのり、冬の陽の光が衰えるときには稲がみのらない。
つまり、稔る期間が一歳ならば、一歳は夏の六カ月となる。
以前、当ブログで、古代では、1年を表年と裏年に分けて2年と勘定していたと説明した。
表年は、冬至から夏至までの期間、つまり、日が長くなり精気が拡大する期間であり、
裏年は、夏至から冬至までの期間、つまり、日が短くなり精気が縮小する期間である。
今回取り上げた宮司の話から解釈すると、
表年は、種もみを植えて苗となり、穂をつけて稔り収穫するまでの6カ月間を
裏年は、田を休ませている秋から冬の6カ月間
となる。
いずれも
12カ月を2年と見做していたので、
記紀に登場する人物の寿命は長く、
神武天皇の寿命は127歳とされているのも納得できる。
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