午前11時、作品展の打ち合わせで蒲田にいた。
打ち合わせ終了後、ユザワヤで必要資材の買い増しをし、かねてからの予定通り横浜中華街に向かった。
石川町に着いたのが2時を2,3分回ったころ、目指す店はネットによると2時から休憩に入ると書いてある。
それでも行ってみなくてはわからない、と店の前まで来てみたらどんどん客が入ってゆく、ラッキーとばかりアタシ達も入り注文する。
朝から、この時のために買い食いもしないで我慢していたのと、予想以上に暖かかったのとで生ビールを注文、旨くて珍しくもお代わりしてしまった。
ナント、30分ほどで食べ尽くし、飲みつくして中華街の本通りに出たところで、足元がふらついた。
「アレ、酔ったのかなあ・・オレ?!?!」なんて言って肩に捕まろうとしたとき、また大きく横に揺れた。
「地震だ!」と思って動こうとするが、足元がおぼつかない。
見ると、電柱の揺れ方が著しい。
建物と建物もぶつかるほどに寄っては離れる。
しゃがみこんで上から落ちてくるものに反応しようと身構える。
少し収まった時を狙って、すこし広い方へ手を引っ張って走る。
すべての客と従業員が道路上に出ている。
知らないおばさんが「怖い!」と言って手を被せてきた。
前方を見上げると、重なり合う高層マンションが倒れるかと思うほど大きく左右に揺れている。
上にトランスの乗っている頭でっかちの電柱が気にかかる。
頃合いを見計らって中華街を元町方向に向かう。
と・・・
ガラスが散乱している。
見上げると
建物のガラスが割れていた。
まだ落ちてくるかもしれないので、バリケードで囲いができているが危険で片付けはできない。
店頭に並んでいたものは倒されたものがあっちこっちに見られ、片付けが始まっていた。
中華街に比べると元町の方が整然としていた。
それでも「maison de famille](?)などは店内の展示物が転倒して破損していて入店を断られた。
このころになると、地震の一報が入ってきて町中でその話が聞こえる。
どうせ電車も動いていないからと元町で甘味処に入った。
ここでたくさんの情報が手に入った。
見た目は何ともなくても、高層マンションの上階の部屋内は物が散乱して酷い状況らしい。
話をしているオジサンの向かい側の女性は泣いていたそうだ。
情報が入るにしたがって、今回の地震の規模が想像以上に大きいことが分かってきた。
この分では交通機関は当てにできない。
家族への電話は通じない。メールは送信できたが、届いているのかどうか?
家の事も気になるし、じっとしてもいられないので兎に角横浜に向かって歩き始めた。
街のあちこちに被害が見える。
ビルの1階の大板ガラスが破損したビル、SP(スプリンクラー)が発報して水浸しのビルなどなど。。。
映画のシーンのような大移動の集団に交じって、とりあえず横浜に向かう。
途中、Pが歩きやすい靴を買おうと移転したカモシカに寄ってみたが、避難のため一時閉店だった。
このころになると、帰宅を急ぐ人や早じまいした人たちで駅周辺は大混雑だった。
横浜駅前交番の前を通りかかると外に立っていた警官が、「新横浜に行く方いませんか?」と呼びかけている。
思わず手を挙げると、新横浜駅前の保育園に3歳のお子さんを預けているお母さんと一緒に行ってほしいと言う。
じゃあ、行きましょうか・・・ということで歩き始めた。
途中、東神奈川駅前のイオンが開いていたので、そこでお母さんとPは靴を買い求めて履き替えた。
なんでもご主人は銀座勤めで、とりあえず多摩川を越えるまでは歩くと言っていたとか、みんな大変だ。
このころ(19時ころ)になると新横浜発のバスが動いていた。
新横浜駅前でこのお母さんと別れバス停に向かう。
チョー長蛇の列だったが溝の口行きが運行中だと言う。待つこと30分ほどで2台目のバスに乗ることができた。
直行バスのため全席着席だ。乗って走り出して眠りに落ちた。
溝の口手前で目が覚めた。ほどなく渋滞で動かないバスから降車させてくれた。
駅前はタクシー待ち客でここも長蛇の列。
南口側に回るとバスがどんどん発着している。とにかく早いバスに乗ろうと、家までは2,30分歩くが来たバスに乗り込んだ。
下りたあたり一帯は停電で真っ暗。。。
怖がるPの手を引きながら最短距離で家に向かう。
途中の暗闇で出会った親子に尋ねると、地震直後から停電だという。
ただ、駅の周辺は大丈夫で、そのあたりだけ明るいと教えてくれた。
駅周辺のコンビニに入ったが、パンや牛乳などのパック飲料系はほぼ完売状態。
倉庫から出てきたインスタントラーメンが通路に積み上げられていた。
店頭でもラーメンをすする若者がいた。
10時10分、帰着。
いろんなものが散乱していたり、動いていたりしていたが、被害はゼロ。
不幸中の幸いだった。
帰る途中でPの家族やアタシの家族とも連絡が取れ無事が確認された。
新横浜からの接続も想像以上にスムースに行き、なんとか道中の半分は輸送機関で移動ができた。
横浜は震度5強の揺れだったらしいが、中華街、横浜、新横浜、溝の口と向かうにつれ地震の見える被害は
感じられなくなっていった。
そんな中での停電は驚きだったが、我が家はガスこそ安全装置が働いて停止していたが、リセットボタンで復旧後は作動したし、
停電もなく、混乱の中では比較的スムースに運んでよかったと思っている。
ご心配をいただいた西の友人方々には、この場をお借りして御礼申し上げます。
打ち合わせ終了後、ユザワヤで必要資材の買い増しをし、かねてからの予定通り横浜中華街に向かった。
石川町に着いたのが2時を2,3分回ったころ、目指す店はネットによると2時から休憩に入ると書いてある。
それでも行ってみなくてはわからない、と店の前まで来てみたらどんどん客が入ってゆく、ラッキーとばかりアタシ達も入り注文する。
朝から、この時のために買い食いもしないで我慢していたのと、予想以上に暖かかったのとで生ビールを注文、旨くて珍しくもお代わりしてしまった。
ナント、30分ほどで食べ尽くし、飲みつくして中華街の本通りに出たところで、足元がふらついた。
「アレ、酔ったのかなあ・・オレ?!?!」なんて言って肩に捕まろうとしたとき、また大きく横に揺れた。
「地震だ!」と思って動こうとするが、足元がおぼつかない。
見ると、電柱の揺れ方が著しい。
建物と建物もぶつかるほどに寄っては離れる。
しゃがみこんで上から落ちてくるものに反応しようと身構える。
少し収まった時を狙って、すこし広い方へ手を引っ張って走る。
すべての客と従業員が道路上に出ている。
知らないおばさんが「怖い!」と言って手を被せてきた。
前方を見上げると、重なり合う高層マンションが倒れるかと思うほど大きく左右に揺れている。
上にトランスの乗っている頭でっかちの電柱が気にかかる。
頃合いを見計らって中華街を元町方向に向かう。
と・・・
ガラスが散乱している。
見上げると
建物のガラスが割れていた。
まだ落ちてくるかもしれないので、バリケードで囲いができているが危険で片付けはできない。
店頭に並んでいたものは倒されたものがあっちこっちに見られ、片付けが始まっていた。
中華街に比べると元町の方が整然としていた。
それでも「maison de famille](?)などは店内の展示物が転倒して破損していて入店を断られた。
このころになると、地震の一報が入ってきて町中でその話が聞こえる。
どうせ電車も動いていないからと元町で甘味処に入った。
ここでたくさんの情報が手に入った。
見た目は何ともなくても、高層マンションの上階の部屋内は物が散乱して酷い状況らしい。
話をしているオジサンの向かい側の女性は泣いていたそうだ。
情報が入るにしたがって、今回の地震の規模が想像以上に大きいことが分かってきた。
この分では交通機関は当てにできない。
家族への電話は通じない。メールは送信できたが、届いているのかどうか?
家の事も気になるし、じっとしてもいられないので兎に角横浜に向かって歩き始めた。
街のあちこちに被害が見える。
ビルの1階の大板ガラスが破損したビル、SP(スプリンクラー)が発報して水浸しのビルなどなど。。。
映画のシーンのような大移動の集団に交じって、とりあえず横浜に向かう。
途中、Pが歩きやすい靴を買おうと移転したカモシカに寄ってみたが、避難のため一時閉店だった。
このころになると、帰宅を急ぐ人や早じまいした人たちで駅周辺は大混雑だった。
横浜駅前交番の前を通りかかると外に立っていた警官が、「新横浜に行く方いませんか?」と呼びかけている。
思わず手を挙げると、新横浜駅前の保育園に3歳のお子さんを預けているお母さんと一緒に行ってほしいと言う。
じゃあ、行きましょうか・・・ということで歩き始めた。
途中、東神奈川駅前のイオンが開いていたので、そこでお母さんとPは靴を買い求めて履き替えた。
なんでもご主人は銀座勤めで、とりあえず多摩川を越えるまでは歩くと言っていたとか、みんな大変だ。
このころ(19時ころ)になると新横浜発のバスが動いていた。
新横浜駅前でこのお母さんと別れバス停に向かう。
チョー長蛇の列だったが溝の口行きが運行中だと言う。待つこと30分ほどで2台目のバスに乗ることができた。
直行バスのため全席着席だ。乗って走り出して眠りに落ちた。
溝の口手前で目が覚めた。ほどなく渋滞で動かないバスから降車させてくれた。
駅前はタクシー待ち客でここも長蛇の列。
南口側に回るとバスがどんどん発着している。とにかく早いバスに乗ろうと、家までは2,30分歩くが来たバスに乗り込んだ。
下りたあたり一帯は停電で真っ暗。。。
怖がるPの手を引きながら最短距離で家に向かう。
途中の暗闇で出会った親子に尋ねると、地震直後から停電だという。
ただ、駅の周辺は大丈夫で、そのあたりだけ明るいと教えてくれた。
駅周辺のコンビニに入ったが、パンや牛乳などのパック飲料系はほぼ完売状態。
倉庫から出てきたインスタントラーメンが通路に積み上げられていた。
店頭でもラーメンをすする若者がいた。
10時10分、帰着。
いろんなものが散乱していたり、動いていたりしていたが、被害はゼロ。
不幸中の幸いだった。
帰る途中でPの家族やアタシの家族とも連絡が取れ無事が確認された。
新横浜からの接続も想像以上にスムースに行き、なんとか道中の半分は輸送機関で移動ができた。
横浜は震度5強の揺れだったらしいが、中華街、横浜、新横浜、溝の口と向かうにつれ地震の見える被害は
感じられなくなっていった。
そんな中での停電は驚きだったが、我が家はガスこそ安全装置が働いて停止していたが、リセットボタンで復旧後は作動したし、
停電もなく、混乱の中では比較的スムースに運んでよかったと思っている。
ご心配をいただいた西の友人方々には、この場をお借りして御礼申し上げます。