カイロでは、チョットいいホテルに泊まろうか?なんて話で色々探してみたのだが、経済的と言われる一泊1500円から3000円くらいのホテルから、いきなり25000円を超す高級ホテルとなり、6000円くらいから10000円くらいまでの中級ホテルが全然無い。
あっても、ギザだったり、かなり離れたりでアクセスを考えると、3泊程度だったらここでもいいか・・・ってことで、結局Sara Innにズーっといた。
ただ、2日目からは事実上のプライベートルームに変更をしてもらったけど・・・
ホテルの窓から
入り口前の道路を覗く
こんな感じの道沿いにあった。洗濯物が面白い。。。
炭焼きの店で食べた
ケバブと
ラムチョップ
この店は旨かった。。。
さて、帰国前日にオールドカイロからハーンハリーリまで行くことにした。
まず、オールドカイロまでは地下鉄で行く。
途中、乗換えがあるのだが、これが分かりずらかった。
なんとか、到着、降りると目の前が遺跡だ。
ここオールドカイロは9世紀ごろのエジプトの首都だったが、オスマントルコの侵略で、時のスルタンが奪われるくらいなら、と、街を焼き払ってしまった。
以降800年にわたって、この地は放置されてきたらしい。
遺跡も現在の地表面からは4~5mも下にあった。
階段を下りて路地に入ると
そこは昔のカイロの街になる・・・
朽ちた壁もそのままになっていた。
建物の入り口を飾る装飾、これは最近のものかもしれない。
飛び出た梁、木造だ。雨の降らないこの地だから、このまま放置できるのだろう。
観光客が歩く道筋は区画整理されているが、その裏側のやや低くなっている土地には、いわばスラム化された住宅が立ち並び、部外者の人間は危険で入ることが出来ない。
遠巻きの周りには少しずつマンションが建ち始めているが、まさに旧カイロだったところは、いまだに放置されている感じがした。
カイロはこの地で始まり、戦いのたびに放置され、北へ北へと移動して現在の位置になったという。
この地にはローマ時代の水道橋なども残されていた。
ここからハーンハリーリの間に、ひときわ目立つガーマ・ムハンマドアリがある。
高台に建っているので、その姿はカイロから見ることができる。
エジプトのガーマ(モスク)はトルコなどとは形が違うが、このムハンマドアリはトルコ的な建築だった。
歩こうかと思って歩き始めたが、ちょっとカイロ市内とは感じが異なり、安全性に何となく疑問があったのでタクシーでムハンマドアリに向かった。
ここで問題の事件は起こった!
ムハンマドアリは許可された車両以外は全てゲートで止められる。
ゲートからは向かって左側に、幅2mほどの緩やかな階段状の坂道が、およそ300mほど上のチケット売り場まで続いている。
アタシ達がその坂道を50mほども登った時、上から降りてくる小学生のグループとすれ違った。
アタシ達は右側を歩き、彼らは左側を歩いていた。
と、その時
上からジャレ合っていた2人組の内、先頭の体格の良い女の子が追いかけっこをする形で、仲間の列を避ける形でアタシの方に走りこんできた。
下り坂をかなりのスピードで走りこんできたので、「走ったら危ない!」と叫んではみたものの、ヤバイ!これは止められない、と咄嗟に感じ、その子を避けた瞬間、どうやらその子がPの左足の小指を踏んだらしい。
その瞬間は「痛い!」って反応程度だったのだが、そこから100mほど歩いた時点で、足を押さえたまま動けなくなってしまった。
10分、、、15分ほども押さえていただろうか・・・なんとか歩きだしては見たものの、その足は今日現在も痛む状態が続いている。
直近の話では小指の内側の靭帯が切れている可能性があるようだ。
さて、話をガーマ・ムハンマドアリに戻す。
土足禁止なのだ。
トルコよりもシャンデリアは綺麗だと思う
天井の装飾は、彫刻と着色だ。トルコではモザイクタイルが張ってある。
大理石の柱
この大理石の模様は・・・あまり好みではなかった。
礼拝をする子供たち
そして、記念撮影。みんな人懐っこい。。。
ミナレット(尖塔)。この形もトルコと同じだった。
ガーマ・ムハンマドアリからハーンハリーリまでは地図上の距離で2kmほど。
タクシーは面倒くさいし捕まえにくかったので、Pには大変だったけど歩くことにした。
人っ子一人・・・と言いたいところだが4~5人くらいの人とすれ違っただけでハーンハリーリに到着した。
ハーンハリーリでは、前回ベリーダンス組ときた時に気になっていたネックレスがあったので、まっすぐその店に向かって値段を聞いてみた。
しかし、凡そ1000ドルで、ほとんど安くならなかったので残念だけど諦めた。
でも、あのネックレス好きだなぁ・・・
こうしてアタシ達の17日間のエジプトのたびは無事(でも無かったけど・・・)終わった。
さぁ、明日はボルシチ食うぞ・・・。。。
あっても、ギザだったり、かなり離れたりでアクセスを考えると、3泊程度だったらここでもいいか・・・ってことで、結局Sara Innにズーっといた。
ただ、2日目からは事実上のプライベートルームに変更をしてもらったけど・・・
ホテルの窓から
入り口前の道路を覗く
こんな感じの道沿いにあった。洗濯物が面白い。。。
炭焼きの店で食べた
ケバブと
ラムチョップ
この店は旨かった。。。
さて、帰国前日にオールドカイロからハーンハリーリまで行くことにした。
まず、オールドカイロまでは地下鉄で行く。
途中、乗換えがあるのだが、これが分かりずらかった。
なんとか、到着、降りると目の前が遺跡だ。
ここオールドカイロは9世紀ごろのエジプトの首都だったが、オスマントルコの侵略で、時のスルタンが奪われるくらいなら、と、街を焼き払ってしまった。
以降800年にわたって、この地は放置されてきたらしい。
遺跡も現在の地表面からは4~5mも下にあった。
階段を下りて路地に入ると
そこは昔のカイロの街になる・・・
朽ちた壁もそのままになっていた。
建物の入り口を飾る装飾、これは最近のものかもしれない。
飛び出た梁、木造だ。雨の降らないこの地だから、このまま放置できるのだろう。
観光客が歩く道筋は区画整理されているが、その裏側のやや低くなっている土地には、いわばスラム化された住宅が立ち並び、部外者の人間は危険で入ることが出来ない。
遠巻きの周りには少しずつマンションが建ち始めているが、まさに旧カイロだったところは、いまだに放置されている感じがした。
カイロはこの地で始まり、戦いのたびに放置され、北へ北へと移動して現在の位置になったという。
この地にはローマ時代の水道橋なども残されていた。
ここからハーンハリーリの間に、ひときわ目立つガーマ・ムハンマドアリがある。
高台に建っているので、その姿はカイロから見ることができる。
エジプトのガーマ(モスク)はトルコなどとは形が違うが、このムハンマドアリはトルコ的な建築だった。
歩こうかと思って歩き始めたが、ちょっとカイロ市内とは感じが異なり、安全性に何となく疑問があったのでタクシーでムハンマドアリに向かった。
ここで問題の事件は起こった!
ムハンマドアリは許可された車両以外は全てゲートで止められる。
ゲートからは向かって左側に、幅2mほどの緩やかな階段状の坂道が、およそ300mほど上のチケット売り場まで続いている。
アタシ達がその坂道を50mほども登った時、上から降りてくる小学生のグループとすれ違った。
アタシ達は右側を歩き、彼らは左側を歩いていた。
と、その時
上からジャレ合っていた2人組の内、先頭の体格の良い女の子が追いかけっこをする形で、仲間の列を避ける形でアタシの方に走りこんできた。
下り坂をかなりのスピードで走りこんできたので、「走ったら危ない!」と叫んではみたものの、ヤバイ!これは止められない、と咄嗟に感じ、その子を避けた瞬間、どうやらその子がPの左足の小指を踏んだらしい。
その瞬間は「痛い!」って反応程度だったのだが、そこから100mほど歩いた時点で、足を押さえたまま動けなくなってしまった。
10分、、、15分ほども押さえていただろうか・・・なんとか歩きだしては見たものの、その足は今日現在も痛む状態が続いている。
直近の話では小指の内側の靭帯が切れている可能性があるようだ。
さて、話をガーマ・ムハンマドアリに戻す。
土足禁止なのだ。
トルコよりもシャンデリアは綺麗だと思う
天井の装飾は、彫刻と着色だ。トルコではモザイクタイルが張ってある。
大理石の柱
この大理石の模様は・・・あまり好みではなかった。
礼拝をする子供たち
そして、記念撮影。みんな人懐っこい。。。
ミナレット(尖塔)。この形もトルコと同じだった。
ガーマ・ムハンマドアリからハーンハリーリまでは地図上の距離で2kmほど。
タクシーは面倒くさいし捕まえにくかったので、Pには大変だったけど歩くことにした。
人っ子一人・・・と言いたいところだが4~5人くらいの人とすれ違っただけでハーンハリーリに到着した。
ハーンハリーリでは、前回ベリーダンス組ときた時に気になっていたネックレスがあったので、まっすぐその店に向かって値段を聞いてみた。
しかし、凡そ1000ドルで、ほとんど安くならなかったので残念だけど諦めた。
でも、あのネックレス好きだなぁ・・・
こうしてアタシ達の17日間のエジプトのたびは無事(でも無かったけど・・・)終わった。
さぁ、明日はボルシチ食うぞ・・・。。。
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