田舎で急な所用があり先週末から里帰りをしていました。
用事の詳細はさておき、それ以前から、アタシが10代から20代のはじめ頃までコレクションしていたレコードを現在の保管者の従姉妹から「どうするの?」と連絡を受けていたので、帰省のついでに受け取りに行ってきました。
大半のものは現在でもCD等で購入ができるので、ある意味ノスタルディに浸るだけかもしれませんが、ある盤だけは廃盤になっていて、また良い盤なのでどうしても欲しいと思い受け取りに行ったのです。
その日の用事が終わった夜9時すぎ姉と姪が運転する車で3人で従姉妹の家に入ります。
入る前から飼い犬「メリー」が吠え続けていました。
アタシが幼児の頃から従姉妹の家で飼う犬たちは全て「メリー」なのです。
そして、玄関先に用意してあったレコード盤は、、、たったの5枚。。。。。
27歳のころ、従姉妹に預けたときは150枚ほどだったのですが、その後散逸しているだろうし、管理のあまり得意ぢゃない従姉妹ですからかなり減ってはいるだろうと想像はしておりました。
それでも、「どうするの?」と聞いてくるくらいですから、まだ4~50枚はあるだろうと想像はしていたのですが、まさかの5枚でした。
その上、一番欲しいレコードはありませんでしたよ。
従姉妹の家を辞するとき、アタシに残ったのはメリーの吠える残響音だけでした。
あまりの落胆に、そのレコードを実家に置いて戻ってきたのですが、車中で姉から「レコード忘れているよ!」とメールが・・・
いや、忘れたんぢゃなくて、置いてきた、とも言えず、今度取りに行きますと返事しましたよ。
楽しみだっただけに結構ガッカリ来ました。
さて、奈良の戻りましょう。
山の辺の道の翌日は朝から雨でした。
予報通りと言えばそうなのですが、だからと言って正倉院展にも行く気が無かったので「そうだ、京都へ行こう!」と電車に乗りました。
目的地は大徳寺、黄梅院。
前回は高桐院と龍源院に行ったのですが、大徳寺にあるこれらの塔頭は、それぞれ実にすばらしいお庭があるのです。
その上、規模が実によい按配なのです。雨ではありましたがまたそれが素晴らしい風情となる事でしょう。
この黄梅院は信長が秀吉に命じて父 信秀の追善菩提のために普請させたのが始まりとされている。
そして、信長死後、秀吉が一時期ここに密葬したのだが規模が小さいとして同じ山内に総見院を建立してそこに祀られた。
その後は秀吉、小早川隆景によって改築が重ねられ現在の姿になった。
院内には小早川隆景、蒲生氏郷、毛利元就家、織田信長等が祀られている。
雨の黄梅院をジックリ。
山門から入り中門に至るまでのわずかな空間が大徳寺の塔頭一院一寺すべて美しい。
中門から本堂まで
残念ながら黄梅院のお庭「直中庭」や「破頭庭」を含む本堂、唐門、書院等は撮影禁止なのでお見せできない。
雨の黄梅院、素晴らしい時間を過ごすことができました。
用事の詳細はさておき、それ以前から、アタシが10代から20代のはじめ頃までコレクションしていたレコードを現在の保管者の従姉妹から「どうするの?」と連絡を受けていたので、帰省のついでに受け取りに行ってきました。
大半のものは現在でもCD等で購入ができるので、ある意味ノスタルディに浸るだけかもしれませんが、ある盤だけは廃盤になっていて、また良い盤なのでどうしても欲しいと思い受け取りに行ったのです。
その日の用事が終わった夜9時すぎ姉と姪が運転する車で3人で従姉妹の家に入ります。
入る前から飼い犬「メリー」が吠え続けていました。
アタシが幼児の頃から従姉妹の家で飼う犬たちは全て「メリー」なのです。
そして、玄関先に用意してあったレコード盤は、、、たったの5枚。。。。。
27歳のころ、従姉妹に預けたときは150枚ほどだったのですが、その後散逸しているだろうし、管理のあまり得意ぢゃない従姉妹ですからかなり減ってはいるだろうと想像はしておりました。
それでも、「どうするの?」と聞いてくるくらいですから、まだ4~50枚はあるだろうと想像はしていたのですが、まさかの5枚でした。
その上、一番欲しいレコードはありませんでしたよ。
従姉妹の家を辞するとき、アタシに残ったのはメリーの吠える残響音だけでした。
あまりの落胆に、そのレコードを実家に置いて戻ってきたのですが、車中で姉から「レコード忘れているよ!」とメールが・・・
いや、忘れたんぢゃなくて、置いてきた、とも言えず、今度取りに行きますと返事しましたよ。
楽しみだっただけに結構ガッカリ来ました。
さて、奈良の戻りましょう。
山の辺の道の翌日は朝から雨でした。
予報通りと言えばそうなのですが、だからと言って正倉院展にも行く気が無かったので「そうだ、京都へ行こう!」と電車に乗りました。
目的地は大徳寺、黄梅院。
前回は高桐院と龍源院に行ったのですが、大徳寺にあるこれらの塔頭は、それぞれ実にすばらしいお庭があるのです。
その上、規模が実によい按配なのです。雨ではありましたがまたそれが素晴らしい風情となる事でしょう。
この黄梅院は信長が秀吉に命じて父 信秀の追善菩提のために普請させたのが始まりとされている。
そして、信長死後、秀吉が一時期ここに密葬したのだが規模が小さいとして同じ山内に総見院を建立してそこに祀られた。
その後は秀吉、小早川隆景によって改築が重ねられ現在の姿になった。
院内には小早川隆景、蒲生氏郷、毛利元就家、織田信長等が祀られている。
雨の黄梅院をジックリ。
山門から入り中門に至るまでのわずかな空間が大徳寺の塔頭一院一寺すべて美しい。
中門から本堂まで
残念ながら黄梅院のお庭「直中庭」や「破頭庭」を含む本堂、唐門、書院等は撮影禁止なのでお見せできない。
雨の黄梅院、素晴らしい時間を過ごすことができました。