天龍寺から祇王寺まで、凡そ2.2km。
鄙びた嵯峨野の道だった、、、、、はずだけど、いまでは整備されて綺麗になっていた。
当時、案内図に寂庵の表示はなかったと思うけど、今ではしっかり表示されていたり・・・
そんな思いでブラブラ歩く途中に落柿舎がある。
ここは、とにかく佇まいがいい。
今のアタシぢゃとても住めないだろうけど、こんな感じの所に住んでみたい気がする。
この藁ぶき屋根と壁、縁側、見ると住むでは大違いだろうけど日本人の懐古思考あるいは回帰志向そんな感覚が刺激される。
庭のつくばいや、向井去来のお墓などもこの風情になじみすぎていた。
でも、来る客は写真が趣味の人か、なぜか中国人団体。
彼らはこういう趣の建物を見て感じるものがあるのだろうか?
しばらく歩くと、懐かしい祇王寺の門前についた。
相方は初めてと言う。
「小さな小さなところだよ。でも、ここ好きなんだよ」と話しながら中に入る。
びっしり生えた苔が朝露をかぶってキラキラ輝いていた。
写真にはうまく映らないけど、想像してみてくださいな。
京都と言う風土が苔の生育には適しているとか、、、これだけ日当たりがいいのに美しいものです。
その昔、まだ寂庵庵主が俗名「晴美」だったころ、里見と祇王寺の庵主と三人で「大市」のすっぽんをよく食べに行ったのだそうな。
そんな話を何かで読んだ覚えがある。
美味処が多い京都でも、ここのすっぽんは格別とか。
すっぽんとは縁もゆかりもないけれど、あんみつでも食べてホテルに向かうことにする。
鄙びた嵯峨野の道だった、、、、、はずだけど、いまでは整備されて綺麗になっていた。
当時、案内図に寂庵の表示はなかったと思うけど、今ではしっかり表示されていたり・・・
そんな思いでブラブラ歩く途中に落柿舎がある。
ここは、とにかく佇まいがいい。
今のアタシぢゃとても住めないだろうけど、こんな感じの所に住んでみたい気がする。
この藁ぶき屋根と壁、縁側、見ると住むでは大違いだろうけど日本人の懐古思考あるいは回帰志向そんな感覚が刺激される。
庭のつくばいや、向井去来のお墓などもこの風情になじみすぎていた。
でも、来る客は写真が趣味の人か、なぜか中国人団体。
彼らはこういう趣の建物を見て感じるものがあるのだろうか?
しばらく歩くと、懐かしい祇王寺の門前についた。
相方は初めてと言う。
「小さな小さなところだよ。でも、ここ好きなんだよ」と話しながら中に入る。
びっしり生えた苔が朝露をかぶってキラキラ輝いていた。
写真にはうまく映らないけど、想像してみてくださいな。
京都と言う風土が苔の生育には適しているとか、、、これだけ日当たりがいいのに美しいものです。
その昔、まだ寂庵庵主が俗名「晴美」だったころ、里見と祇王寺の庵主と三人で「大市」のすっぽんをよく食べに行ったのだそうな。
そんな話を何かで読んだ覚えがある。
美味処が多い京都でも、ここのすっぽんは格別とか。
すっぽんとは縁もゆかりもないけれど、あんみつでも食べてホテルに向かうことにする。