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読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

松本賢吾の『トラップ 罠』

2021年04月17日 | 読書

◇『トラップ 罠

  著者:松本 賢吾 1999.4 マガジンハウス 刊 




 ハードボイルド小説。舞台は作者松本賢治の作品ではおなじみの横浜。主役は元刑事
の秋元。罠に嵌って警察を辞めた一匹狼が事件にしつこく食らいつく。

 事件の発端は、横浜港に流れ込む大岡川にかかる黄金橋下に浮いた全裸の女性の死体。
秋元が刑事になって3年、警官になって8年経っていた。
 事件は初め事件性を疑われたが、検視の結果覚醒剤と精液が検出されたことから自殺
説に大きく傾いた。しかし事件は呆気なく解決した。18歳でシャブ中のゲーセンの店員
が自供し血液型も一致したからだ。
 ところがその3か月後、情報屋の寿町の住人から死体を捨てる男を見たという証言を得
た。男というのは深瀬建設の社長の息子だという。深瀬建設というのは秋元が今務めてい
るガードマン会社カモメ警備保障の契約先である。

   秋元は捜査一課在職中暴力団と癒着、多額の金が彼の口座に振り込まれているという不
可解な証拠を突き付けられ辞職し、今はガードマンをやっているのである。

 元先輩の岡沢警部(現深澤建設の部長)の妹麻紀、元先輩でカモメ警備保障社長の後藤、
笠原警部、二宮刑事、深澤建設とかかわりの深い暴力団港竜会、その息のかかった土建会
社土倉建設の社長土倉勲、県警部長から天下った同社総務部長国分などを相手に八面六臂
の活躍をする秋元。助けてくれるのは高校同窓で暴力団名神会の一員佐竹徹、元同僚の倉
持刑事、寿町の手配師堂本などである。

 要するに死に体になって倒産寸前の建設会社に食いついてしゃぶりつくそうという暴力
団が引き起こした殺しの連鎖が、元警官で一匹狼の正義漢を奮い立たせてしまったのであ
る。また覚醒剤の国際取引にハマって動きが取れなくなった土倉のドジもある。

 最終場面。秋元は深瀬と妻の麻紀が同衾する処におびき寄せられる。現れた悪徳刑事笠
原の銃で深瀬と麻妃と秋元は滅多撃ちにされ傷つくが、危ういところで倉持刑事が現れ救
われる。
 だが、土倉が現れ秋元は拳銃に撃たれる。6日間集中治療室で昏睡状態だったが一命は
とりとめる。そうだろう、なんといってもハーボイルドなんだから。
                              (以上この項終わり)

 


水彩で観音寺の牡丹園を描く

2021年04月14日 | 水彩画

◇ 観音寺の牡丹園

  
      clester  F6

 散歩コースの一つとなっている観音寺(真言宗豊山派)。今ちょうど牡丹が
花盛りに違いないと出かけた。もちろん写生も目的の一つ。
 皆さん花の時期を知っていて、結構花を愛でる人がいた。写真を撮る人も多
いが三脚などは禁止されている。ほかの人の邪魔になるし、花床を傷めるから
だろう。
 先月寺院に新しい棟が完成し風景が変わった。
 牡丹園の描き方が何かぞんざいな感じになって反省。人物を3人だけ入れた。

 ついでに庭の芝桜と、散歩道に咲いていたポピーも描いたのでご覧ください。

    
                             
                            (以上この項終わり)


吉川英治『新書太閤記(五)』吉川英治歴史時代文庫

2021年04月10日 | 読書

◇吉川英治『新書太閤記(五)

    著者:吉川 英治  1990.6 講談社 刊 (吉川英治歴史時代文庫)

 

 第5巻は 奇襲奇策をもって出没する越前一向宗の一揆退治。武田軍と信長・家康
連合軍の長篠の戦い、中国地方攻略である。

 信玄逝去から3年。喪明けを期して勝頼は俄然2万5千の兵をもって家康・信長を
攻める。勝頼は胆力武勇も類まれではあったが、この3年間の家康の成長と信長の
力の蓄積を読み切れていなかった。しかも騎馬軍団と鉄砲の戦では圧倒的に銃中
心の家康・信長軍が優勢で武田軍は長篠の戦いにおいて完膚なき敗北を喫した。
 その後信長軍に攻められた勝頼は天正10年(1582)天目山麓田野にて自刃し武
田家は滅んだ。

 長篠の戦では有名な鳥居強右衛門の逸話が詳細に語られる。何の取柄もなかった
下卒の鳥居強右衛門が、城に籠る五百名の窮状を岡崎城に在る家康に訴え応援を求
めるために甲州軍の包囲網を脱出し、役目を果たすくだりである。信長の重臣らには
徳川の救援要請には俄かには応じられないという声が強い。しかし要請に応えない
と徳川は勝頼と和睦し反旗をひるがえすかもしれない。また徳川家の防御のほころ
びとなって、甲州の進出を防ぎきれなくなるという秀吉の言が容れられ、3万の大兵
をもって支援することとなった。九死に一生を得て救援要請の薬を果たした強右衛
門は家康に窮状を訴え終わると直ちに城に戻るという。救援がすぐ来るという朗報
を一刻も早く伝えたいというのである。
   だがしかし、強右衛門は甲州軍に捕まってしまう。そして十字架に結わえ付けられ
城に向かって味方の応援は来ないから城を開けと言えと迫られた。だが忠臣強右衛
門は城の兵に向かい、3万の信長軍の救援と家康の軍が近くまで来ていることを伝え
る。強右衛門は狼狽した勝頼の兵の鑓に貫かれ血祭に挙げられた。作者は、その最
期に「山は揺るぎ、河も哭いた」と書く。
 家康はもとより信長も強右衛門を高く評価し、その子孫は後々まで厚く遇された。

 そして8月。信長は越前門徒宗の一揆討伐に出た。秀吉も持つ日でもこれに加わっ
た。叡山の焼き討ちを上回るかという残虐さで、まさに仮借なき見せしめであった。
生け捕り、誅殺合わせ3・4万に及んだという。討伐は8月中に終わった。

 秀吉は長浜に城を造りようやく母と寧子を呼び寄せた。城に移る途次寧子は岐阜
城で信長に初めて会った。「そちはよい男を見つけた」とお世辞を言われ、去り際
には「悋気すなよ」と言われた。秀吉の女好きを見抜いていたのである。
 母と寧子の住まいの他に遠くもう一軒の住まいが作られているのを見て寧子は悲
しい思いをする。

  天正4年(1576)信長は突如琵琶湖西岸に城の築城を決める。死してわずか2年の
内に総五層天守閣を備える豪壮な安土城を造営した。岐阜城は京に遠く、天下に
号令するには天皇に近い必要があり、更には武田に次いで信長の脅威となった北の
梟雄上杉謙信が上洛する道を扼する位置に拠点を多く必要があったのである。 

 そして松永久秀は大和信貴山において叛旗を翻したが、頼む謙信は安土城を見て
動かず、石山本願寺も西の毛利元就も動かず自滅した。

 信長は中国攻略を期し、黒田半兵衛の推しもあって秀吉を大抜擢し総大将として
送り出した。この時秀吉42歳である。
    但馬・播磨を落とした秀吉は一旦安土に帰る。本格攻めの播州上月城は難攻不落
の城で、攻略したものの宇喜多直家、小早川隆景、吉川元春ら錚々たる名将の下5
万という毛利軍勢に阻まれ膠着状態に陥った。秀吉という格下に指揮される佐久間、
滝川、丹羽、明智など先輩諸将はなかなかいうことを聞かない、信長に出馬を促し
ても応答がないため再度安土に赴き信長に苦衷を訴える。ついに信長に上月城を手
放し三木城攻撃に絞るよう指示され尼子一族を見限ってしまった。

 しかし三木城攻略は難航し、膠着状態に陥った。半兵衛と黒田官兵衛は宇喜多直
家、明石影親との和議を提案、二人は秘密裡に談判に赴き和議に成功し備前・美作
が戦わずして秀吉の手に落ちた。しかし信長は勝手に和議を結んだと秀吉を苦境に
追い込む。秀吉は信長の嫡子信忠を介してようやく直家の帰服を納得させることが
できた。
 そんな中、織田方の荒木村重が謀反し毛利方と結ぶという事件が起きた。
      
                           (以上この項終わり)


吉川英治の『新書太平記(四)』

2021年04月03日 | 読書

◇『新書太平記(四)

  著者:吉川 英治  1990.6 講談社 刊 
              (吉川英治歴史時代文庫)



 第4巻は将軍義昭の滅亡と叡山の焼き討ち、各地強豪との対立のあれこれ、小谷城の
攻防が描かれる。

 越中の朝倉・浅井を攻めたもののうまくいかず這う這うの体で逃れた信長、態勢を整
え浅井の小谷城を攻撃する。浅井・朝倉は大阪の石山本願寺、門徒宗と呼応し、比叡山
の僧兵と山に立て籠った。家康の応援を得た信長軍は叡山を包囲し兵糧攻めを期したが
背後にある武田信玄が不穏な動きをしてるとの報に接し足利義昭のとりなしをもって

面和睦ということになった。

 将軍足利義昭は信長のお蔭で将軍の権威を回復し立派な邸宅を建ててもらったあたり
から信長が疎ましくなり、武田信玄など諸国の雄にしきりに書簡を送るなど陰険な動き
を見せ始めていた。

 
 その翌年、信長は再度叡山攻撃を決心する。国家安寧を願うべき僧が城郭を築き、刀
や銃を蓄え、破戒乱行に走る叡山の僧兵を許されざるものとし全山の焼き討ちと皆殺し
を命じた。この暴虐を止めようと光秀などが諫言するもこれを退ける。藤吉郎が皆殺し
焼き討ちも、われらが信長の命令以上に勝手にやり過ぎて行動したものとすればよいと
提案する。
 背後に信玄の強大な戦団が迫ることを知った信長は断固決行焼き討ち・殺戮を指令す
る。
全山火の海と化し、僧兵らはことごとく殺戮された。京都の民は信長の悪魔のごと
き所業に震撼する。

 震撼としたのは足利義明も同じ。信長から突き付けられた17か条の諫言書に対する返答
を放置していたからである。とりわけ第1条の、武門の統領の職にありながら朝廷に参内も
せず、政事を顧みないこと。第2条天下の泰平を図り治安民福を任とする位にありながら諸
国に密書を通わせ自ら乱を作るなど大政輔弼の身にあるまじきこと。この2条については反
論の手立てがなかった。義昭は京を落ちて紀州方面に遁走したがついに捕われ信長に謝った。
しかし時すでに遅く、ここで室町幕府は消滅した。

 そして武田信玄。信長が京にあって諸国に令を出しているのが気に入らない。武田信玄
は既に50歳、家康の浜
松城の北東三方ヶ原に突如侵入、3万の兵が怒涛の如く襲いかか
り、信長の応援があったものの家康も危うく捕われる寸前まで追い詰められた。
 しかし甲州軍団は突如引き上げる。信玄は病に襲われあっけなく病に斃れた。
放っていた乱波からこの情報を知った信長は各地勢力が一斉に動き出すに違いないと読
み、いち早く越前朝倉と江州浅井連合軍を叩く。小谷城にある浅井氏の妻は信長の妹お市。
信長は懊悩する。うかつに囲めば市が長政と共に死を選ぶことを恐れているのである。

  浅井長政は初めお市の方を政略の花嫁と割り切っていたが、4人の子を為し、お市とは
夫婦の愛情で固く結ばれ互いにここで討ち死にしようと決めていた。信長の心中を忖度し
た藤吉郎は一人小谷城に乗り込み、母子だけは生き延びさせるよう長政を説得する。その
説得が長時間に及び、しびれを切らした信長軍がついに総攻撃を始めた。
 藤吉郎はお市の方、万寿丸、茶々、初姫、達姫の5人を救い出した。茶々を背負った藤吉
郎、お市の方を先導
した柴田勝家がそれぞれ後に結ばれるとはこの時は誰も知らなかった。
   信長は藤吉郎に18万石を与えるとともに小谷城を預け、この後は羽柴を名乗るようと姓
まで与えたのである。大恩賞である。 
          
                             (以上この項終わり)