読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

信州の鎌倉「別所温泉」と小諸の「懐古園」を訪ねて(その2)

2012年07月23日 | 国内旅行

小諸城址と藤村記念館など
  別所温泉から上田までの電車の沿線には由緒ある寺院など観光地がいくつかあり、
 信州観光バスと観光協会が走らせている「遊らんバス」(500円で別所温泉から塩田
 平の4か所の観光地=中禅寺・前山寺・無言館・生島足島神社を巡り出発地点の別
 所温泉駅まで戻る)に乗ってプチ観光をしたうえで小諸に向かう予定であった。ところ
 が朝になって最小催行人員(4名)に満たないので運行しないと言ってきた。つまり乗
 りたい客は我々2人しかいないということである。
  仕方ないので予定より早い電車(しなの鉄道)で小諸に出ることにした。しなの鉄道は
 長野新幹線が出来た時に平行して走る在来線の存廃が問題になったが、「しなの鉄道」
 という第三セクターで軽井沢から長野までを運行することになった。(アプト式で有名な
 碓氷峠越えの横川・軽井沢間は連絡しない。)長野オリンピック(1998.2)の頃のこと。
 三セクは利用率が低いため運賃が高い。しなの鉄道の場合上田から小諸まで470円、
 小諸から軽井沢まで390円。この間たかだか1時間足らず。なのに860円である。
 まあそれは仕方がない。久々に旧信越線の車窓から上小地方の景色を楽しんだ。

           
   しなの鉄道 快速軽井沢行き      小諸駅前 駅前ガーデン

懐古園
  小諸「懐古園」は旧小諸城址である。現在は隣接して児童遊園地や動物園が置かれ、
 「小諸城址懐古園」として市の管理下にある。(有料)

  園内には小諸ゆかりの島崎藤村の「藤村記念館」、小諸城の歴史を綴る「徴古館」、
 藤村が教師を勤めた「小諸義塾」の記念館、小山敬三美術館などがある。

  
  懐古園は廃藩置県後小諸在住の旧士族が資金を出し合い荒れ果てた城址を整備し、
 花木を植え、懐古園と称した。また本丸内に懐古神社を創建した。
  小諸城はもともとは木曽義仲の武将小室太郎光兼が居館を築き、のちに大井氏が城
 を築いたが武田信玄がこれを攻略、山本助と馬場信房に命じ「酔月城」を築城した。
  その後信長の武将滝川一益や家康の武将松平康らが城主となり城郭に手を加え「小
 諸城」が完成した。
  城主はその後も幾度か交代したが、元禄15年(1702)越後の長岡藩ゆかりの牧野氏
 が入り10代170年続いた。

  城は城下町よりも低い「穴城」という珍しいタイプ。浅間山の火山灰が作ったいくつもの
 断崖の襞が自然の要害となっている。旧JR信越線は浅間山の裾に広がる町場と城郭
 の隙間を抜けようとしたがうまくいかず、やむなく大手門と三の門を横断することにした
 らしい。大手門は鉄道駅の北にあるが、駅に接した「三の門」(国の重要文化財)をくぐる
 と広大な城域が見事に整備され、桜の古木などが立ち並び落ち着いた雰囲気で散策で
 きる。

          
     懐古園入口へ              三の門             三の門裏側

  二の丸跡、北の丸址、南丸址を見て進むと要害の空濠に架かる「黒門橋」を渡る。
  天守台跡の向かいには「藤村記念館」、その先には千曲川に臨む「水の手展望台」があ
 り、そこからは遥か崖下を蛇行する千曲川の流れを眺望することが出来る。
  千曲川にはダムが出来て、藤村が「千曲川のスケッチ」で描いた面影はなく、今はずい
 ぶん様相が変わったようだ。
  その手前には、藤村の友人有島生馬の発案になる藤村の「千曲川旅情の歌」の歌碑が
 ある。

              
      二の丸跡               黒門橋                   南丸址    


        
      藤村歌碑            水の手展望台から 千曲川

藤村記念館
  島崎藤村は6年余小諸に滞在した。小諸義塾の塾長木村熊二に請われて国語と英語の
 教師を勤め、ここで最初の妻冬子と結婚した。記念館にはこの小諸時代を中心に作品・自
 筆原稿・書簡・写真・遺品などが集められている。これら藤村の資料はかつて歩いた中山
 道・馬籠宿でもお目にかかっているが、藤村が青年時代過ごした地でゆっくりとその足跡
 をたどって見ることが出来て有益であった。(有料)

     
         藤村記念館


徴古館
  ここは懐古神社付属の資料館で、主として小諸城主であった牧野氏を中心に小諸城の歴
 史資料を集め展示してある。武将の武具・衣装、刀・銃、古文書、伊藤仁斎・勝海舟・山岡
 鉄舟の揮毫(書)などが陳列されている。
  興味深かったのは阿福様(おふくさま=春日局)と喜内様(竹千代=六代将軍家光公)の
 ほぼ等身大の木造の展示。この時代の名工左甚五郎の作という。
  桂昌院(阿玉の方)に綱吉公養育の手本にせよと家光公から託されたが、桂昌院の甥であ
 った牧野康重公は伯母からこの木像を賜り、牧野家の家宝としたという。(有料)


     
         徴古館
  
小諸義塾記念館  
  明治26年11月小諸の青年小山太郎の要請でアメリカ留学の教育者・キリスト教牧師の
 木村熊二を迎えて興した私塾である。木村は向学の志篤い近郷の青年と寝食をともにし
 高度な中等教育を授けた。しかし個性的で自由な校風の私学は画一的な国家教育制度に
 なじまず、明治39年廃校となった。
  三宅克己(絵画)、丸山晩霞(水彩画)、鮫島晋(数学・物理・化学)、島崎藤村(国語・英語)
 など多才な教師を擁し、多くの傑出した人物を輩出した。(有料)
  島崎藤村はここで「千曲川のスケッチ」、「落梅集」を刊行、「破戒」を書き始めた。

          
      小諸義塾記念館            藤村「惜別の歌」歌碑

 (以上この項終わり)

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信州の鎌倉「別所温泉」と小諸の「懐古園」を訪ねて(その1)

2012年07月21日 | 国内旅行

  梅雨明けの7月17日ボランティア仲間10人(内1人は仕事でドタキャン)で今年初めての
 ビアガーデンでしたたかに飲んだ。飲み放題が男性2000円、女性1600円で3時間。十分
 元が取れました。

  そして翌々日。一昨年初めて訪れて気に入ったので是非行こうと妻に誘われて別所温泉へ。
 そのたたずまいから信州の鎌倉といわれる別所温泉は、「北向観音」で有名で、確か昔仕
 事のついでに連れて行ってもらった記憶があるものの、宿泊はしていないのでぼんやりとし
 た記憶で甚だ頼りないので、割安の宿泊プランが手に入ったことから一泊の温泉旅となった。
  2日目は、折角なのでまだ行ったことがないという妻の希望を容れて小諸の「懐古園」を訪ね
 た。

  初日は全国的に猛暑で、高原の信州も33度。翌日は一転して曇天。全国的に気温差は10
 度くらいで、軽井沢では濃霧の中、風も強くて肌寒く多分15℃くらいだった。

上田電鉄別所線で別所温泉へ
  長野新幹線で上野を出ると2時間ちょっとで上田に着く。そこで手打ちそばで昼食をとって、
 上田電鉄別所線で終点の別所温泉駅に向かった。
  2両の電車は千曲川を渡り、塩田平の青々とした水田をぬって進む。30分足らずの間に
 駅が15もある。
  周囲は山ばかり。関東平野を見慣れている人は「これを平野というのか」と訝るかもしれな
 いが、山国の信州ではちょっとした平地があれば立派な平野に見える。長野県民歌「信濃の
 国」でも「松本・伊那・佐久・善光寺四つの平は肥沃の地」と謳っているくらいで、ここ塩田平も
 なかなかの平野ということになる。
 
  上田駅の改札では中学生のような坊やが切符に刻印を押してくれた。電車内でも一人の中
 学生が車掌らしい駅員から何やら指導を受けていた。恒例の体験学習らしい。
  電車内は乗客は十数人。先頭車両からクリーム色の立派な制服を着た駅長が歩いて来て
 我々の前の席に座った。世間話を始めたので我が社の電車を利用してくれた乗客にお愛想
 を使っているのだと思って応じていたら、「お客さんはハーモニカをやりますか」と来た。「ああ、
 少しは吹けますよ」。すると彼はやおらポケットから鎖が付いた小さな四角いものを取り出した。
 「これはハーモニカなんです」「危難に遭ったときなどは笛の代わりになるので、最近人気なん
 です。どうですか記念におひとつ?」ハーモニカのペンダントだった。
  そのあと本物のハーモニカをとりだして、知らない古い歌謡曲を吹き出した。伊藤久雄が歌
 った曲だという。「伊藤久雄といえばイヨマンテの夜でしょう」、「そうそうその伊藤久雄です」。
  まさか上田駅の駅長が車内で物販活動までしているとは思わなかった。廃線の憂き目が少
 しでも先送りされるようにと思い一個買ってしまった(1000円はちょっと高い)。

              
      別所温泉駅             ホーム             ハーモニカのペンダント   塩田平を眺望

レトロな駅舎・駅員
  別所温泉駅では袴の女学生姿の駅員が切符を受け取っていた。駅長だという(もっとも駅員は
 ほかには見当たらなかった)。駅舎も待合室も全体にレトロ調で、待合室の天井には古めかし
 い扇風機が回っていた。
  妻によれば宿のホテルまでは観光協会か旅館組合が運行している「ミニバス」があるらしいが、
 一番バスはまだかなり時間があるというので、炎天下の中20分ほど歩いた。
  タクシー会社もあるが運転手は控室で居眠りをしていた。この暑さのせいか道を歩いている
 人もほとんどいない。広々とした観光バスの駐車場もガラ空き。
  とにかく眠ったような温泉地で、これから衰退するのではと心配になった。
  別所温泉は山裾にあり、全体が傾斜している。行きは登り、帰りは下りなのでキャスター付き
 とはいえ荷物を引いての登りはつらい。

          
     女学生姿の駅員          レトロな待合室
 
◇「北向観音」と「常楽寺」、「安楽寺」
  「北向観音」は別所温泉の代名詞といえるほど知名度が高い。宿泊したホテルの客室(4階)
 からは北向観音の「観音堂」と「薬師堂」が間近かに見える。
  北向観音堂は平安初期に慈覚大師円仁により開創された。その際別所三楽寺(安楽・常楽
 ・長楽)が建立された(長楽寺は現存しない)。

            
     <北向観音>
  本坊は長楽寺。天台宗の寺。天長2年(825年)開創。本尊は千手観世音菩薩。善光寺が南
 向きで来生の御利益を、これに対し北向観世音は現世の御利益を齎す一対の仏として片方だ
 けでは「片参り」とされる。
  本堂のほか不動堂、薬師堂、鐘楼と天然記念物・桂の木などがある。

            
       北向観音           不動堂・薬師堂             不動堂               薬師堂
   

   
      鐘楼と桂の木
     
<常楽寺>
  北向観音の本坊。本尊は珍しく宝冠を戴いた阿弥陀如来像。本堂裏山にある石造多宝塔は国
 の重要文化財。  

         
     常楽寺本堂              茅葺き            国宝 石造多宝塔

   
<安楽寺>
  曹洞宗の寺。天平年間(729~749)行基建立といわれる。本尊は釈迦如来像。本堂は珍しい
 茅葺き。本堂の裏山にある「八角三重塔」は国宝で、1290年頃の建立とされる。四重に見える
 が一番下の層は「裳階(もこし)」と呼ばれ、ひさし又は霧避けの類で極めて珍しい形式。日本最
 古の禅宗様建築とされる。

           
     安楽寺本堂               鐘楼            国宝 八角三重塔


外湯巡り
  歴史ある著名な温泉地には必ずと言ってよいほど「外湯」があって、地元の人(温泉組合)が管
 理している。外部に対し有料のところと無料のところがある。小ぶりながらそれぞれ特徴のある拵
 えで、時間があれば外湯めぐりも面白い。これまでに草津温泉、野沢温泉、塩原温泉、下諏訪温
 泉などで外湯を楽しんだが、別所温泉には「大湯」、「石湯」、「大師湯」の三つの外湯がある。
  宿のすぐ隣にある「大師湯」は木曜日が休みで入れなかったので、真田幸村の隠し湯と言われ
 る「石湯」に入った。立派な構えで、浴槽も石積みで掛け流しの湯が気持ち良かった(150円で
 あるが旅館で入浴券を出してくれた)。


   
    真田幸村隠し湯 石湯   
  
 (以上この項終わり)

 

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いま畑では

2012年07月04日 | 畑の作物

梅雨時の畑

 先般の台風並みの風雨が過ぎ去って、散々な被害を受けた野菜も何とか樹勢を持ち直した。

< トマト>
 収穫期に入ってこれまでに2個とりいれた。丹念に花にホルモン剤(日産トマトトーン・スプレー
 =パラクロロフェニキシ酸)を噴霧させたのが効いたのか今のところ鈴なり状態。
 庭でとれた「ホームトマト桃太郎」は、まさに桃太郎が生まれた桃の形状をしていた。

            

<どじょうインゲン>
  つるなしインゲンはこの間の大風雨で甚大な被害を受けたが、何とか樹勢を持ち直し収穫期に。
 毎日丹念に採らないとすぐに大きくなって食味が悪くなる。
  時期をずらした2度目のインゲンは今花を咲かせている。

          

<落花生>
  大風雨の後土寄せをしたが、このほど花を付けた。これから土に向かって子房が下り始める。 

         

<小玉西瓜>
  受粉が成功した小玉スイカは1個が大きくなってソフトボール大になった。カラス避けをした。

   

  (以上この項終わり)

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