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読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

カリフォルニア雑記(4)

2011年03月16日 | 海外旅行

Saddle Back Valleyのトレイル
  滞在するAguacate Rd.の一角からサドルバックバレーという小さな谷が望める。川が流れているがクリークと呼ん
 でいる。日本ならリバーと呼びたくなる川幅であるが一応 creek。

           

  この谷から海抜200mほどの丘陵があり、散策できる山道が走っている。昼近く、気温15℃くらいの陽気の中散歩した。
 標高差180mを登ると結構汗をかく。    

  川の近くには乗馬クラブがいくつかあり、乗馬の人たちに出会う。どうやらこの道は馬優先で、馬が来ると人は右に避ける
 ルールになっているらしい。時折ほやほやの馬糞が落ちていたりする。

                         
     クリークから登ってくる馬                                      野生のミモザ 

        
      この辺が205m
  尾根は最高で209m。夕刻にはここから太平洋に落ちる夕日が望める。前回はSanta Catalina島と
  San Clemente島に沈む雄大な落日を楽しんだ。

                                                  
    コヨーテ・ガラガラヘビ・オオヤマネコに気をつけろ!   トレイル下のコンドミニアム            

                       
      野生のアーティチョーク(食べられない)     ペッパーツリーベンドに降りる

ペッパーツリーベンドの豪邸群
  丘の裾にPeperTree-Bendという豪邸専用道がある。およそ1キロくらいの道で滅多に車も通らない。長いところでは
 ドライブウェイが300mくらいあって、新聞や郵便物も車で取りに来る。維持費の心配をしたりするのは我々貧乏人の性。
 ほんとに人が住んでいるのか、偶に利用するのかうかがえない。監視カメラがあってうっかり探検も出来ない。絵を描い
 ていたら放し飼いの獰猛な犬が吠えかけてきたので、そ~と離れた。訓練されているので恐れる必要はないというのだ       
 が、命あっての物だね。 

                      
          普通の邸宅

                     


                  
                                    奥にはお城のような

        
        普通の家         馬道ですよ  

     (以上この項終わり)
      


カリフォルニア雑記(3)

2011年03月15日 | 海外旅行

第83回アカデミー賞(Live)
 到着当日は格別のイベントはなし。
 翌日は次女の義理のご両親をお招きしウェルカム夕食パーティー。
 さてその翌日は御両親のお宅でお返しの夕食パーティー。

 ご両親の手作りは メキシカンフード(リエノー・エンチラーダ・チリビーンズ・サルサソース・)
              クラッカー&アボカドディップ
              テキーラベースのカクテル:マルガリータ

                    


            

 4年前に訪れた際は火災で焼けた家を建て替えていて、骨組み状態であったが、見事な邸宅に
 出来上がっていた。さっそく邸内ツアー。

 今日はLAのKodak Theatreで行われる第83回アカデミー賞授賞式」。
 ライブショウが延々3時間にわたって放映され、各賞授賞経過を観ながらのディナーとなった。
 少なくとも西海岸ではNHKの紅白歌合戦のような”お祭り”なのだろう。
 新聞も別冊特番になっている。

          
                                      司会のJames Franco&Anne Hathaway

          
                                                    Melissa Leo

          
                                     Charles Ferguson   

          
    Peter Bebb          栄冠は「The King's Speech」のColin Firth

    
    
     翌日3/28の新聞「Los Angeles Times」特番

    (以上この項終わり)


カリフォルニア雑記(番外編)

2011年03月15日 | その他

東北関東大震災に思う
  このたびの大震災は未曽有のもので、まさに国難に違いなく、政府・国会は小異を残して
大同につき、多少の主義主張の違いはは脇に置いておいて、国民の生命と財産の確保に
邁進してほしい。
今こそ国家統治機能の基本を中心に据え行動すべきである。
 菅首相には、このようなときこそ日本国の指導者として、政府の覚悟と国民の採るべき行動
指針と気構えを、大きな声と簡潔な言葉で確固とした訴えをしてほしかった。
 世界各国から支援に駆けつけてくれている。
 かつて世界にあって飛ぶ鳥を落とす勢いであった日本も、新興国家の発展の勢いの中です
っかり埋没した感があるが、このようなときにこそ、成熟した先進国家国民としての秩序だった
行動でこの国難に立ち向かわなければならない。そうでないとすっかりだめ国家になってし
まったと笑われる。

 東海地震、東京直下型地震を想定した地震対策と訓練が役に立っているだろう。が、東北・
関東という広い地域にわたって、しかも短時間でしかも20mにも及ぶ津波の被害はまさに想
定外だったろう。果たしてこの東北・関東地方の自治体は万全の体制であっただろうか。
 自治体域が壊滅状態のところが多数ある。避難者も何十万人に及ぶ。食料や水、毛布など
がいち早く届くようにしないと被害者が増える。道路は使えないとすれば軍や被災地以外の
自治体からのヘリで一刻も早く届けてほしい。備蓄の災害用物資をこの地方に供出してほし
い。

 東京電力の計画停電(輪番停電)対策が二転三転して、対応のまずさが非難されている。
一般家庭や事業所の配電線は変電所の系統でひとからげになってしまうが、鉄道需要家な
どは別系統になっているだろうから、交通機関向けは最初から外しておけば、これほど
きつい言い方もされなかったと思う。しかし、出来るだけ供給責任を果たしたい、出来れば
停電という責任放棄は避けたいという気持ちが先立って、結果的に二転三転という形になっ
てしまったのではないか。当事者は必死になって対応しようとしているのだから、新聞など
報道機関もこんなときにいたずらに非難するものではない。と思う。
 それよりも医療機関などでは非常用自家発の燃料などはどうなっているのだろうか。今は
車がないととんと動けない人が多い。ガソリンを求めて苦労をしている。元売りから入らない
と在庫がないということになる。重要機関への優先割り当てなども考えないとかつての買い
だめ現象も起こしかねない。

 昨日女川市の親戚と連絡が取れず、安否がまったくわからないと言っていた知人から、避
難所にいることがわかった。とうれしそうな連絡があった。おおいに安堵したことだろう。
 岩手・宮城・福島の沿岸地域の津波の被災状況を見ると慄然とする。この先どう生活を再
建することができるか、気の毒で言葉もない。
 我が家の購読紙N新聞の1面コラムで、こんなときには「なぜ私だけがこんな目に・・・」など
と思いがちだが、なぜにこたえられない「なぜ」もあるのだ。と言っていた。運命と言っては逃
げになってしまうが、自分が直面した事態にはまずは真正面からぶつかっていくしかないこ
とはよくある。人のせいにしたり、人に不満をぶつけてもことの解決にならない。人が災難を
背負ってくれたと思われるときは、その分、別な形でお返ししよう。そうしないとバランスが取
れない。落ち着かないのだ。
 もっと若くて、腰に持病がなければ、時間があるのだから力仕事で支援してあげられるのだ
が・・・。今行ったって邪魔なだけだけれども。

 ここ柏は、震源地域からは何百キロも離れているはずなのに、だいぶ間遠くなったが、いま
だに震度3くらいの余震がある。時折震度4から5くらいの大きいのも来る。10分から20分お
きではないかと思う。寝不足状態になっている。
 LAからの帰国便で、クリント・イーストウッド監督の映画「ヒアアフター」を観た。、津波に巻き込ま
れて臨死体験をした人と霊能者の話が中心でやや難解な映画だった。そのときにまるで実写
したのかと思われる激しい津波に驚いたが、実際に三陸のリアス式海岸の町を襲った津波の
激しさを見て、あんなもんじゃないと思った。
予見できなかったとはいえ、縁起でもない映画を観てしまったものだと反省した。

福島第一・第二原発事故
  これまでも軽微な事故はあったが、このたびの福島原子力の事故は、発端は確かに巨大地
震にあるものの、リスクの高い施設の事故だけにまったく別物の災害と考えなければならない。
 近隣の人で、放射能漏れに関する政府の発表は全く信用できないと、いち早く千葉から脱出
するという大胆というか過剰反応というか極端に走る人がいた。しかし原発周辺の人は日頃か
ら事故のレベルによってどういう行動が求められるかなど説明を受けているので、われわれ遠
隔地の人とは情報量もレベルも水準以上と思われるが、大いに不安が募っているに違いない。
 かつてロシアのチェルノヴィル原発事故の当時原子力関係の仕事をしていて、原発所在地域
の人たちの不安解消のために、あらゆる種類の情報を公開することで苦労したことがあるので、
早く事態が解消されるよう、息をひそめて見守っている。
 
 想定以上の地震で被害が発生したと説明されるが、この種のリスクの高い施設は、余程のレ
ベルで対策を講じておかないと対処できないことがこれでわかった。高い代償であるが、世界
の原子力発電国では我が国の失敗の経緯と対処をかたずをのんで見守っているであろう。

 米国訪問でお世話になった次女の義理の両親にお礼のメールを送った際、帰国直後に遭遇し
た未曽有の地震災害について触れたところ、「日本でこのような災害が起きて大変悲しい。日本
の地図を前に、TVにくぎ付けになって悲惨な映像を観ている。我々に何が出来るだろうか。
日本人は強く(strong)、回復力(resilient)があり、間違いなく早く復興(rebuild)し、繁栄
(prosper)するに違いない」と励ます返事をもらった。
 彼の地でもCNNなど各番組で日本の地震災害を詳細に報道しており、とくに原発の事故につ
いては注視しているようだ。

 日頃日本人をバカにしている(ように思える)中国の新聞でも、このような災害に遭遇しても
礼儀正しく、冷静に行動している日本人を一様に賞賛している。また世界の多くの国々でも、
災害対策システムとこれに基づく機敏な行動を高く評価しているようだ。
 
(以上この項終わり)


カリフォルニア雑記(2)

2011年03月14日 | 海外旅行

サンファンキャピストラーノ(San Juan Capistrano)市へ
  SJC市はLAからサンディエゴフリーウェイ(405号)で南へおよそ75キロ、加州南端のサンディエゴ
 までおよそ100キロにある小さな市。
  人口は最新センサス(2000年)で33,826人。70%が白人であるがメキシコに接しているだけに
 ヒスパニックも11,206人いる。アジア人は634人。
   海抜200mほどの丘陵を縫って川が走り、鉄道(Amtrak)とフリーウェイが市域の中央を走っている。
 歴史遺産としては、1776年にスペイン国王がキ
リスト教布教のため送り込んだミッション(カトリック布教
 教会)の建物遺跡がある。サンディエゴからロサンゼルスまで22のミッションを置いたがこれが「エルカミ
 ーノレアル」と呼ばれている。馬でほぼ1日の駅毎におかれたことから現代のハイウェイの原型といわれ
 ている。

                        
              free way(405)                      川を経てMissionを望む             Amtrakの駅               オーシャンライナー  
  
                 
            Mission 入口        街角のカフェがスタバに変わっていた        エル・カミーノ・レアルの象徴:鐘          街灯も鐘                                     

 
サザンカリフォルニアの草花など
  この時期は花々はそう多くはないが、日本ではおめにかからない草花などに出会った。
  滞在した家は海抜78m、丘(205m)の裾に当たり、道路の植栽はユーカリやペッパーツリーが多い。
 住宅地なので道路は車用で専用歩道はないが、乗馬用のホーストレイルが別に用意されているとこ
 ろが珍しかった。
 
 (花などはDana Point、San Diego も含む)

                


                 

    
                  


                    


                    
   桜に似ているが…                             ホーストレイル(左上が車専用道)    

              
   ホーストレイルとペッパーツリー  ペッパーツリーとユーカリ              ペッパーツリーの実(胡椒)  

    

  加州オレジカウンティというだけあって、広大な庭にはオレンジを初めアボカド、ネーブル、ネクタリン
 などのほか、びわ、いちじく、柿など日本原産の果実の樹もあった。

    毎日新鮮なオレンジジュースを堪能した。

                            

          

   (以上この項終わり)


カリフォルニア雑記(1)

2011年03月13日 | 海外旅行

出国まで
  このたび5回目となるカリフォルニア訪問。 一昨年次女の家族が帰国(米国)したが様子を見に
 出かけるのは4年ぶり。孫のRくんは2歳8ケ月になった。

  今度の旅行では、腰痛悪化で既に5年ほど封印していたゴルフを娘の義父と楽しもうという特別
 プランがあった。ところが出発の3日前にボランティア活動の際、不注意にも中腰の作業をしてしま
 い腰痛再発。千慮の一失でゴルフラウンドも危うい雲行きになってきた。
  さっそく翌日整形外科医院で診察・電気マッサージなどしてもらい、さらに次の日には自宅近くの
 鍼灸院で施療をしてもらった。多少軽くなったので出発当日にもう一度施療をして貰おうと電話を
 したら、昨晩空き巣に入られてこれから警察の現場検証が入るので午前中は無理ですとのこと。
 不安な状態のまま出発することになった。

  京成電鉄が「京成成田スカイアクセス線」という新線(といっても大部分は従来線を共用)を走ら
 せて、東武線から新鎌ケ谷駅で「アクセス特急」に乗り換えると、わずか43分で成田国際空港駅に
 着く。 超便利。

  航空券は超早割でインターネット予約で入手した。航空券の(控)をハードコピーで持って行って
 チェックインカウンターで搭乗券に代えるのが従来の流れであったが、最近は72時間以降であ
 れば家のパソコンや携帯でチェックイン出来て、搭乗券をプリントしていきなり手荷物預けカウン
 ターに行けることになった。搭乗する時もA4版の搭乗券で入る。何故か落ち着かないが、航空会
 社の人件費節約にはなっているのだろう。搭乗時に「インターネット予約を戴きありがとうござい
 ます。」などと言っていた。

  海外旅行は1年以上ブランクがあったが、米国に入国する旅行では2009年1月12日からESTA
 (電子渡航認証システム)が導入されて、事実上ビザと同様の入国データをそろえて認証を受け
 ないと入国できないことになった($14払う必要がある。)。

  2月はシーズンオフなのかカウンターはそれほど混んでいない。乗客は概して若者が多かった。

  ANAのロサンゼルス便の機内食は、出発後の夕食(J-menu 定食の和食)も着陸前の朝食
 もなかなかおいしかった。ドリンクはカクテルはあるのに日本酒がないのが玉にキズ。

                     

LAX(ロサンゼルス国際空港)から入国
  まずは入国審査。
  行列は2列。審査窓口は1列に4個割り当てられている。いつものことながらどんな審査官に当
 たるか不安になる。朝妻と喧嘩したのか寝起きが悪いのか不機嫌そうな人が必ずいる。女性な
 ら良いかというとそういうもんでもない。有能な私は本来こんな仕事をさせられる人材ではない。
 有能な上司にそれを早くわかってもらって、明日にでも異動させてもらわなきゃ。という不機嫌そ
 うな女性もいる。
  とにかく何処に割り振られるかわからないが、今回は陽気な白人男性で、仕事を楽しんでいる風
 がうかがえてよかった。先行した妻には「新婚旅行?」などと、おあいそを言っている。しかし、そ
 うはいっても滞在地、旅行期間、旅行目的はしっかり聞かれる。両手の指紋、両目の網膜チェック
 を行って「OK,Have a nice stay」と無事に通過できた。

  さてお次は通関・荷物検査。たばこ・アルコールは持っていないのでOKかと思ったら左にあらず、
 個人で荷物の少ない人はさっさと通されるのに、「あっち」とばかりに手荷物検査機に回された。
 みるとスーツケースを開いて缶詰などをはねられている人がいる。「やばい!」娘のリクエストで
 我が荷物にも小豆の缶詰やら何やらが入っているのだ。 
  手荷物・機内持ち込み荷物を機械に入れてOKが出るまでひやひやであったが、幸い何も言わ
 れず無事通過。
  ホッとした油断で自ら荷物をカートに持ちあげた。途端に「ぎくっ」。せっかくややおとなしくなって
 いた持病再発である。このあと後を引いて困った。

  LAはやや寒々しい雨で、期待していた「Carifornia sky」は一時預かりとなった。

  (以上この項終わり)