読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

新・魅惑のトルコ周遊(その5)

2008年05月10日 | 海外旅行

◇世界遺産トロイ遺跡(トロイ)
 ホメロスの叙事詩『イーリアス』の舞台トロイ。10年に及ぶ戦の末、木馬に潜んだ
 ギリシャ軍が街に街に火を放ち勝利したという話を信じたのがドイツ人シュリーマン。
 へこたれずに掘削を続けついに『イーリアス』の伝説が真実であったことを証明
 した。ただ発掘の貢献者シュリーマンは、貴重な遺物・財宝を密かに持ち出し売
 りに出したりしたため、必ずしもトルコ人の評価は高くないらしい。
 紀元前2500年頃からエーゲ海の交易都市として発展したトロイは、9層に及ぶ
 都市遺跡を形成していて、第6ステージの紀元前1800年頃一時繁栄を見た後
 トロイ戦争で滅亡への道を辿ることになる。

    
    トロイ遺跡                                     観光用 木馬
     
                                       9層になっている都市遺跡

 
この後、チャナッカレからフェリーでダーダネルス海峡を渡りトルコのヨーロッパ側に渡った。
   
   チャナッカレの港       対岸の町 

 ◇世界遺産イスタンブール歴史地区(イスタンブール)
  ビザンツ(ビザンチン)帝国、オスマン帝国合わせて1600年の長きにわたって首都
  として君臨してきた(コンスタンティヌス帝時代一時コンスタンチノープル。)イスタンブールは、
  シルクロードの終着点であり、ボスフォラス海峡でアジアとヨーロッパに分断されている
  ことから、西洋・東洋文化の融合点・接触点として強い関心を持たれている。

 ☆ブルーモスク(スルタンアフメット・ジャーミィ)
  大きなドームと6本ものミナレットを持つ、トルコを代表するイスラム寺院である。旧市
  街の中心、イスタンブールの象徴的存在。1616年スルタンアフメットⅠ世の命で建造
  された。
  
  
  
   
 
☆アヤソフィア博物館
  西暦325年コンスタンテティヌスⅠ世により建造が始まり、360年に完成し、ギリシャ
  正教(キリスト教)総本山として君臨した。ビザンツ様式建築の傑作とされる。
  15世紀にコンスタンチノープルが陥落、スルタンメフメットⅡ世によって聖堂はイスラムの
  ジャーミィに変えられる。壁画・モザイクも漆喰で塗りこまれ、メッカの方向を示す
  ミフラープが付け加えられたりした。
  現在は博物館。
  
     
    アヤソフィア                          大ドーム     残された聖母マリアの壁画
 

 ☆地下宮殿
 
 4世紀から6世紀頃にコンスタンティヌス帝らによって作られた地下貯水池。コリント様
  式の8mの柱で支えられている。礎石の一部に横や逆さまにされた「メデゥーサ」
  (頭髪は蛇、見られると石になる)の頭部がある。
  
      

 
☆トプカプ宮殿
  
1453年にコンスタンチノープルを征服したスルタンメフメットⅡ世は、トプカプ宮殿の建造に
  着手、その後様々な建築様式で増築され、オスマン朝の中心地となった。
  共和国後博物館として公開されている。86カラットのダイアモンドなどが展示されて
  いる宝物館はカメラ撮影が禁止されている。
 
     
      送迎門          ハーレム          ハーレムの壁         浴室
      
     王の間         送迎門警護の兵士   スルタン謁見の間       幸福の門


 <以下次項>         
    

  
  
  
   

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新・魅惑のトルコ周遊(その4)

2008年05月09日 | 海外旅行

 ◇メヴブラーナ博物館・インジェ・ミナーレ博物館(コンヤ)
  セルジュクトルコ時代首都であったコンヤは今なお古きトルコの姿を随処に残す。
  旋舞教団として知られたメヴラーナ教団はイスラム教神秘主義の一宗派。創始
  者メヴラーナの廟のほかかつての僧院、修行所もある。トルコ共和国になって神
  学校は廃止されたため、博物館となった。
 
 
   
 トルコブルーが美しい博物館(13C)        礼拝前にはここで身を清める  重要な観光ポイント

  13世紀に建造されたセルジュク建築物の代表作とされるインジェ・ミナーレ(細い塔)
  は落雷で1/3の高さになってしまった。正面のアラビア文字・幾何学文様の浮き
  彫りが見事である。現在はイスラム関係の彫刻(木彫・石彫)の博物館。

     


 ◇世界遺産ヒエラポリスとパムッカレ
  世界遺産ヒエラポリスは、紀元前190年ベルガモン王によって作られた。その
名の
  とおり聖なる都市と呼ばれた。ベルガモンは結局セルジュク朝に滅ぼされた。
  温泉・石灰棚のパムッカレはトルコ語で「綿の城」。
  二つは隣り合っている。
  パムッカレの真っ白な石灰棚は、ヒエラポリスから石灰分を含んだ温泉が流れ、長
  い時を経て結晶し台地全体を覆ったもの。最近開発ラッシュで泉源が枯渇し、
  湯も濁ってきたことから、石灰棚への出入りが禁止されたりしたが、観光収入
  に響きまた入れるようになった。石灰棚の白と青い湯のコントラストがいい。裸足
  で足湯を楽しめる。
  宿泊したホテルは階段状の温泉風呂、温泉プール、普通のプールがあってリゾート
  気分になれた。

 
   
   ヒエラポリス野外劇場跡   ヒエラポリス・パシリカ    パムッカレ温泉         石灰棚
    
         石灰棚                                    ヒエラポリス城壁

 ◇世界遺産候補エフェス・聖母マリアの家
  ヘレニズム時代、ローマ時代と栄えてきたエーゲ海の港町エフェス(ギリシャ語でエフェソス)
  は今尚遺跡が盛んに発掘されており、壮大な港湾都市の姿は半分くらいしか
  
姿を見せていない。現在の遺跡の多くは紀元1~4世紀ころのローマ時代のもの。

     
   ハドリアヌス神殿        トラヤヌスの泉     クレステ通り歩道のモザイク    ニケのレリーフ
      
     ケルスズ書館        大劇場         大理石通り      当時の公衆トイレ
    
    観光客でごったがえすポリオの泉  エーゲ海への道
 

   <聖母マリアの家>
    

  
(以下次項)
  
 
 

 

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新・魅惑のトルコ周遊(その3)

2008年05月06日 | 海外旅行

 連休前の混まない時期にと、4月18日(金)から出かけたトルコ旅行。
 往復トルコ航空でイスタンブールへ直行する。まだ肌寒い日があるので寒さ
 対策を怠らないようにとの旅行社からのアドバイスで急遽衣類を増やした
 のでかなり荷物が重くなった。(実際は最高26度になるなど暑いほどの
 日が多かったが、最後イスタンブールでは11度くらいの寒さになって驚いた。)

 今回の旅は、首都アンカラまで航空便を使ったほか、殆どバスによる移動。
 トルコの東半分は手付かずの世界遺産訪問であったが、延べ3,000kmと
 いう長旅となった。

◇アナトリア文明博物館(アンカラ)
 紀元前7000年辺りの人類最古の集落の再現、新石器時代からのトルコ
 (アナトリア)の文明史が紹介されている。青銅器時代、鉄器をいち早く使い
 始めたヒッタイト古王国の遺物が多い。

    
          
◇世界遺産 サフランボルの宿場町

 昔サフランが群生していたという街。黒海から50kmの険しい山懐にある。
 シルクロードへの通過点でもあった。独特な3階建ての木の窓枠・土壁の木造
 家屋が周囲にしっくり合っている。

    

◇世界遺産 カッパドキア
 トルコではもっとも人気がある世界遺産の一つ。火山活動による溶岩と火
 山灰がもたらした奇岩群に感動する。更には紀元前400年から記録にある
 という地下都市、ギョレメの岩窟教会、波打つ奇岩が夕日に染まるとばら色
 に代わるローズバレーなど、見飽きない。
 
    
     ギョレメ奇岩群                                   ウチヒサルの城砦
    
  ギョレメ野外博物館       5人官女        洞窟の家         パパ・ママ・ベイビィ 
         
  朝のバルーン観光             聖ゼルベ教会        教会内壁画       地下都市  

(以下次項)      

  

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新・魅惑のトルコ周遊(その2)

2008年05月02日 | 海外旅行

食事事情
  トルコ料理はフランス料理、中華料理と並んで世界三大料理の一つ。
 これは不明にして初めて知った。ガイドブックを見るといろんなバラエティに
 とんだ料理があるらしいとは分かっていた。実際ツアーとなると食事はお
 仕着せで自分で選ぶのは難しい。ホテルや昼食・夕食のレストランなど
 で出た料理は、世界三大料理の一つということに今ひとつ納得が行か
 なかった。確かにヨーロッパの料理にしてはそれなりにこまごま工夫はして
 あるし、味付けは日本人に合うとは思うが・・・。
 <野菜>
 ドイツなどにくらべるとまだましだが、出ているのはきゅうりとトマトとキャベツそ
 れに香草少々。

     
        朝食その1       朝食その2         朝食その3
 
 <スープ>
 スープはニンジンや魚のスープなどまずまずであった。
   
        
         ニンジンスープ        レンズ豆のスープ      鶏のスープ         魚のスープ                
  
 <肉類>
 牛肉のケバブはおいしかった。チョップシシという焼き鳥風も美味し
 かった。

      
      チョップ・シシ         ドネル・ケバブ               サチカズルマ

 <魚>
 地中海・黒海に囲まれている割に魚料理が少ない。出てきた鱒料理は
 まず先ずであった。タラの揚げ物・タラの煮込みも骨まで一諸なので食
 べにくいこと夥しかった。

           
      タラ(揚げ物)       キヤステ(タラの鍋)    アラバルク・タワ(鱒料理)

 <その他>
 ・ ドマテス・ドルマスなど詰め物料理は名物料理らしいが、冷えたせいかお
  いしくなかった。詰め物に米も入っているがちょっと芯があったりして
  まずかった。
 ・ よくご飯は付いた。オリーブ油で松の実などと一緒に炒めた塩味炒飯
  といった感じでちょっと芯があるものもあったが概して美味しかった。
  サーデ・ピラウという。
 ・ オリーブはいろんな種類がふんだんにあるので一杯食べた。

      
   トマトやピーマン袋詰め     ?            Buffetの夕食     牛肉とさやインゲン
   (ドマテス・ドルマス) 

   
    トルコのピザ1         トルコのピザ2

 
<飲み物>
   トルコはイスラム優勢の社会のくせにアルコールにはおおらか。そもそも「Alcohol」の
  語源はトルコにあるとのこと。
 ・ 有名な「Raki(ラク)」は「YENIRAKI」が定番。かつて官営だったが民営化にな
  って数社が作っているという。独特のアニスのにおいが好き好きであるが、水
  を加えると白く濁る。グラスにワンショットで7YTL(新トルコリラ)水も取ると9YTLで日
  本円で800円近くになって結構高い。
 ・ ビールは食前酒に良く飲んだが、銘柄はEFES PilsenとTuborg いう銘柄しか
  ない。大抵のホテル・レストランはEFESしか置いていない。
  レストランでも生ビールなど置いていない。無いとなると無性に飲みたくなる。
 ・ ワインは赤も白もまずまずだったがこれまた銘柄は「KANKAYA」。
  民営化されてもビールもワインも一朝一夕で良い製品が供給できるはずもない。
  新しいメーカーも出にくいのだろう。
 ・ トルコといえば何といっても「トルココーヒー」。デミタスカップに甘く濃いコーヒーが出てくる。
  普通のコーヒーのように豆を挽いてドリップで漉すわけではなく、粉をそのまま
  淹れるので最後に澱が残る。当然これは飲まずに残す。
 ・ トルコのお茶は「チャイ」。日本の緑茶のように頻繁に飲むという。街角や店先
  などで、男達が数人集まってテーブルを囲み、小さめのガラスカップに入った
  「チャイ」の出前をとって駄弁っているのを良く見かけた。 
 ・ 食事の祭に飲み物の注文をとるがアルコール以外ではチャイ、リンゴジュース、グレープ
  ジュース、ザクロジュースなどがあった。

 <機内食>
  イスタンブール直行便のトルコ航空の機内食は、往復とも日本人にあわせ他献立
  で概ね満足できる内容であった。

    
   成田→イスタンブール     イスタンブール→成田
  

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新・魅惑のトルコ周遊

2008年05月02日 | 海外旅行

ハイシーズンのトルコ
 「ギュナイドュン」(おはよう)
 「メルハバ」(こんにちは)
 4月から6月という時期は、世界中どの地域でも一年中で一番いい季節なので
 はないだろうか。
 西欧と中東の接点に当たる国トルコも今が一番美しい季節。どこも花が咲き
 競っていました。日本ではあまりお目にかかれない花が沢山ありました。

    

 
   

        

        

    

 
   

人懐っこい子供たち
 「こんにちは」、「Can you speak English? 」、「What's your name? 」
 トルコの子供らは我々ツアー客に群がってきて覚えた日本語で挨拶したり
 習っている英語の練習をしようと一生懸命だ。物怖じしないしとても可愛い。
 ケータイで一緒に写真に入ってくれとせがむ。
  トルコ人は親日的と聞いていたが、ほんとに人懐っこい。もともと人種的に
 は新疆・ウイグル地域が発祥の地とかでモンゴル系の日本人とはウマが合う
 のかもしれない。
 いたるところに尖塔(ミナレット)を備えたモスクがあるなどイスラム教優勢のお国
 柄ではあるが、シーア派のような原理主義的なところが薄く、穏健らしい。

     

◇ トルコの風景点描

         
    トルコは意外と平地が多い。フランス、イタリア、スペインに似ている。確かに富士山を越える山も
    いくつかあるし山脈も東西に走っているが、概して広大な農地が見渡す限り広がっている。
    作物は小麦、綿、イチジク、オリーブ、ピスタチオ、ヘーゼルナッツ種を取るカボチャ、ヒマワリなどが栽培さ
    れている。もちろんトルコ絨毯の羊毛用羊、山羊も。


      
    世界遺産サフランブルの市場。巣鴨のおばさん原宿っぽい店が並んでいる。
    「のびるアイス」なるものがある。コーンに載せるが、意外とおいしい。日本語で口上など述べ
    ていて面白い。
    この日気温が26度もあって暑かった。昼下がりの商店と喫茶店。
    右はセルジュク・トルコ時代の首都・コンヤの市電。

     
    緊急時には滑走路になるという道路を走った。
    時折り道路を牛や羊が横断する。信号はないしあっても羊には関係ない。羊飼いも悠々。
    イスタンブールのアジア側地域。ガラタ塔の通りで5年前爆弾テロがあって多くの死者を出した。
    建物は新しくなったが傷痕は癒えない。建物には今もイスラエルの紋章があった。


     
   「オリエンド行の殺人」の作者アガサ・クリスティの定宿「ペラ・パラス」。トルコ共和国建国の父ムスタシャ
   ・ケマル・パシャもこのホテルを好んで宿泊した。
   オリエント急行終点駅「スィルケジ駅」。この駅内のレストランで夕食をとった。
   オリエンド行のアジア側の起点は「ハイダルパシャ駅」。金角湾はフェリーで渡った。
   アジア側のウシュクダラとヨーロッパ側の旧市街地との間に日本の大成建設とトルコとのJVで地下鉄
   工事が進められている。
   広場にはいくつもの花屋さんが連なっていた。これらはジプシーの経営という。
   小雨の中チャーターの船でボスボラス海峡を1時間半ほどクルージングした。

 (以下次号)

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