読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

吉川英治の『新書太閤記(二)』

2021年03月21日 | 読書

◇『新書太閤記(二)

 著者:吉川 英治     講談社1990.5 講談社 刊



 第2巻の大きな出来事は寧子との出会いと織田信長が今川義元との争いに決
着をつけた田楽狭間の戦である。
 まずは秀吉が生涯の伴侶として選んだ寧子(ねね)との出会い。

 或る日藤吉郎は「折り入って頼みが」と寧子の父親浅野又右エ門から話しか
けられる。実はお小姓組の前田犬千代(後の利家)から寧子を妻にと人を介し
て申し出でがあり、家柄もよく、勇猛にして白皙端麗な若者なので一も二もな
く、お受けする返事をしたが、肝心の寧子が素直に頷かない。「何とか良い思
案はないだろうか」と問われた藤吉郎「引き受けました。何とかなるでしょう」

 寧子にはかねてから思いを寄せてはいるが、相手が犬千代では境遇も容貌も
風采でも太刀打ちできる相手ではない。ところが犬千代には「寧子殿と私は仔
細あって固い約束を取り交わしている間柄である」と犬千代をだまし、父親の
又右エ門殿には「寧子殿は私のほかに夫は持たぬと胸に秘めておいででしょう」
などと剣呑なことを述べる。では本人に聞いてみようということになって寧子
を呼ぶと、「私のような不束者でも、木下さまが妻にとお望み下さるならば、
どうぞ木下さまへおつかわしくださいませ」にという思いもかけない返事。か
くて藤吉郎は強力な競争相手に勝った。(実はかねてより寧子には手紙を送っ
たり贈り物を届けたりしていたのだ)
 どういうわけかこの一件以降藤吉郎と犬千代は肝胆相照らす間柄になった。
 
 そして織田と今川の桶狭間の戦い。かねて上洛の機をうかがっていた今川義元
はどうしても通らなければならない尾張の国を率いる宿怨の織田信長と一戦を交
えなければならない。
 天下統一の覇業を成し遂げようとする今川義元は足利将軍の奢侈を映し雅を
旨とし、家風もそれに慣れていた。
    まず今川義元の質子として育った松平元康(後の徳川家康)が出てくる。三河
では元康の帰城を切望しているが、義元は言を左右にしなかなか応じなかったが、
ついにだれもが尻込みしていた孤立する大高城救援に成功したら三河城を任せる
と約束した。
 三河軍は元康の采配で見事大高城を救ったが、義元は約束をまもろうとしなか
った。こうした仕打ちに対しなお隠忍自重していた元康も、信長が義元の馘を打
ち取った後信長と誼を通じ、互いに助け合う間柄となる。

 ついに天下を取ると宣言した義元は五万という大軍を率いて尾張を抜け美濃
に向かおうとする。これを迎える織田軍勢はわずか五千の兵であったが、今川軍
が休憩をとっている田楽狭間に構えた今川軍の本陣を急襲し義元を討ったのであ
る。奇跡の勝利に向かう信長軍と今川軍の死闘の様子は生々しい描写で戦場の惨
状は眼を覆うばかりである。
 とにもかくにも折からの猛烈な雷雨が信長に勝利を齎したというしかない。 

 この戦では藤吉郎はさして目覚ましい働きはしていない。とにかく戦陣で手柄
を立てようと働くタイプではないのである。
 しかし戦後の落ち着きを見た後、犬千代の口添えで藤吉郎は晴れて寧子と結婚
式を挙げることになった。当時の足軽クラスの嫁入り(藤吉郎の場合婿入り)の
様子がまるで見てきたように生き生きと描写される。

                          (以上この項終わり)

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