読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

カズオ・イシグロの『日の名残り』

2018年08月10日 | 水彩画

◇『日の名残り』(原題:THE REMAINS OF THE DAY)
                         著者: カズオ・イシグロ (Kazuo Ishiguro)
         訳者:  土屋 政雄   2001.5 早川書房 刊(ハヤカワepi文庫)

    

   作者カズオ・イシグロが 英国最高の文学賞「ブッカー賞」を受賞した作品。ノーベル賞を受賞した折に
娘が購入した本書が回ってきて読んだ。

 年老いた一人の執事スティーブンスが一人称で語る想い出の記。格別盛り上がりのあるドラマチックな
展開があるわけではなく、至極淡々とこれまでの過ぎ越しの日々を語る作品であるが、そこには自然豊か
な英国の田園風景、イギリス上流階級の生活スタイル、農村に生きる人々の姿、誇り高き職業観、人生観
などを知る数々のエピソードがあり、まことに秀逸な作品であった。

 永年仕えたダーリントン卿が亡くなり、館を買い取ったアメリカ人のファラディ様の勧めで初めて本格
的な休暇をとって、主の車でおよそ400キロ離れた英国西部・コンフォール半島にミセス・ケントン(結
婚を期に館を去った)
を訪ねることになった。

 「品格ある執事とは」と問い続けてきた30年。執事の鑑だった亡き父、尊敬する主ダーリントン卿、美
しい田園風景を見渡せるダーリントン・ホール、女中頭ミス・ケントンとのほろ苦い心の交流、などが淡
々と綴られる。淡々とはいうもののスティーブンスが物語ったのは1956年のこと。20~30年前の出来事
を回顧する中では、主ダーリントン卿がベルサイユ条約の対独宥和を進める非公式な国際会議を開いたり、
ナチ幹部のリッペントロップ(駐英ドイツ大使)とイギリスの首相・外相との秘密会談のお膳立てをする
場面があり(モデルとして対独協力者とされた貴族がいたらしいが)、チャールズがこうした歴史的に重
要な場面に立ち会ったという名家の執事ならではの貴重な体験を誇らしげに語るところなどは物語の流れ
に、わずかながら盛り上がりを示す。

 ミセス・ケントンを訪ね帰る途次、名も知らぬ男性と会い、働きづめで過ごしたこれまでの人生、とり
わけ永年仕えたダーリントン卿への敬慕の想いを問わず語りに明かしたチャールズは、思わず涙をみせる。
ダーリントン卿は大戦後対独協力者として指弾され、不遇なまま逝ったのだ。

「いま私に結婚話が来てるの」かつてミス・ケントンが告げた。これまでも彼女が自分に淡い恋心を抱い
ていることを知りながら、仕事にかこつけてこれをあしらってきたチャールズ。後悔がなかったのだろうか。
20年後に彼女に再会し、彼女の思いを改めて聞いて心が張り裂けんばかりの悲しみに満たされた。あの時
彼女の部屋のドアを叩くべきかどうか迷った逡巡の瞬間を思い出す。あれが人生の一つの転機ではあった
と思う。

 海辺のベンチで語り合ったある男がつぶやいた言葉。「人生、楽しまなくちゃ、夕方が一日で一番いい時
間なんだ。足を伸ばしてのんびりするのさ。夕方が一番いい。」
日の名残りとはまさにこの言葉に尽きるの
だろう。
 チャールズは思う、「たらればをいつまでも思い悩んでいても意味がない。執事という仕事に微力を尽く
そうと願いそれを試みた。それだけで十分。そのような試みに人生の多くを犠牲にする覚悟があり、その覚
悟を実践したとすれば、結果がどうであれ、そのこと自体に自らの誇りと満足を覚えてよい」。
 帰ったらアメリカ流ジョーク
を練習しファラディ様をびっくりさせてみよう。

 夕陽を見ながら過ぎ越しかたを振り返り、いろいろあったが有意義な人生だったと思いにふける。そんな
晩年の感傷だけではない。前向きの覚悟が伝わってくる。
                                 (以上この項終わり)


                

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする