◇ 最終目的地高田に向けて歩く
<二本木宿~新井宿>
7時に朝食をとって、8:20に信越線で二本木に向かった。
今日の天気予報は晴れ。
高田駅は何とも瀟洒な造りで昔の駅舎からは想像もできない。普通商店街のアーケードと呼ばれる
歩行者用通路は、ここでは「雁木(がんぎ」)と呼ばれる。
二本木駅には9時ころ到着。早速歩き始める。
藤沢の一里塚跡は分かりづらいところにあったらしく発見できなかった。
小出雲坂というゆるい坂道を越えると賀茂神社。
新井宿中心部に入る。左手に市神社参道がある。
「君の井」という地酒の造り酒屋があった。
石塚の一里塚跡を過ぎると、 道端に昔懐かしい草刈りいちごを発見。手を伸ばしたが一緒に
歩いている妻女に止められた。ばっちいというのである。子供の頃、夏休みの、水遊び向かう道
は熱い砂利道だった。そんな道端にこの草刈りいちごがたくさん生っていて、夢中で食べたもの
だ。ばっちいなんて思わなかった。今も健康である。
庚源寺の先の道端にちょうど盛りの額あじさいがあった。関東ではすでに盛りは過ぎているの
だが。
雪深いこの地では、最近つくられる家はおしなべて御覧の通り3階建の立派な御殿の
ような家。
耐震と除雪と防寒と・・・というとこんな造りになるのか。
<新井宿~高田宿>
諏訪神社を過ぎると信越線の踏切を渡る。足を踏み出そうとしたら警報が鳴り始めた。ちょうど
回送電車が通過するところ。撮り鉄男に早変わりしてパチリ。
瀬渡川の袂には明治天皇行在所跡。
橋を渡り切って、信号を右に入ると茶屋町で、この先大和小学校の前には「弘法の清水」の碑
があった。
信越線脇野田駅近くに来春開業予定の北越新幹線「上越妙高駅」が出来ていた。
高田新田交差点には伊勢町一里塚跡と伊勢町口番所跡の碑が立っている。
町家の家の前にある雁木(がんぎ)はそれぞれ私有地で、冬場の歩行者のためにつなげて
屋根を掛けている。積雪の多い地方の思いやりである。市内の雁木総延長は16kmとか。
そんな雁木の一角に高橋飴屋がある(栗飴翁飴本舗:十辺舎一九の「諸国道中金の草鞋」
に登場する。またここの笹飴は夏目漱石の「草枕」にも登場する)。
「札の辻」は高札場跡。
街道筋からは外れるが、折角なのでおよそ2キロ離れた高田城址公園へ。高田城は天守閣
のない平城で、三重櫓が天守の役を果たした。この三重櫓が復元されている。高田城址公園
は広大な敷地で、夜桜は有名である。
昨夜泊ったホテルの前を過ぎて 小町問屋街跡碑などを見て進むと、本町七丁目交差点に
着く。
ここが北国街道の終点で、加賀街道と奥州道の分去れである。
かつてここにあった分去れの道標はこの少し先の宇賀魂神社の境内に移されてある。
これで昨年4月から始めた北国街道歩きが終わった。途中残念なことに牟礼宿で2キロ
ほど中抜きしたので完全踏破とはいえなくなったが、21宿(松代道経由)122町146キ
ロを歩いたことになる。
最後20キロくらいで足がつって困った。東海道歩きで35キロ歩いた時も足がつったが、
これでは先が思いやられる。歩くことが健康にいいのは分かっているものの、もはやこ
のような街道歩きはしない方が身のためかも知れないと、いささか弱気になっている。
(以上この項終わり)