読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

北国街道を歩く(その7・最終ラウンド)

2014年07月13日 | 里歩き

不完全踏破の北国街道
  昨年11月末に千曲(戸倉宿)から豊野(神代宿)まで歩いてしばらく中断していた北国街道歩き
 を再開した。最終ラウンドである。当初は4月に歩いて最終の宿場高田で高田城の夜桜をなどと、
 能天気なことを考えていたが、4月の山道の積雪などを考えると、とても無謀なプランであることに
 気が付き再検討しているうちにいろんな予定が入って、梅雨時に歩かざるを得なくなってしまった。

<神代(かじろ)宿~牟礼宿>
  10時半にJR信越線豊野駅に着いた。住居地域の一隅に道標がある。これより右かしわばら、
 是は善光寺みち。昔懐かしい「のこぎりの目立屋」があった。
  観音堂からすぐ山道に入る。
  秋には実る真っ赤な大きなリンゴもいまはこれくらいの大きさ。
  神代宿の大石。急坂が3.2K続く。ぶどう畑も小さな房を付けていた。

           


           

  途中から細い山道に入るはずであったが見当たらず、どこでどう間違えたか、怪しげな広い道を進
 んでしまった。しかも道が封鎖されていて、これを乗り越えて進んだのだが、橋桁を建設中の谷間に
 出会う羽目に。
  引き返して向かった道で漸くリンゴ畑のおじさんを発見。道を訊ねて正しい道をたどることが出来た。
 実は柏原に住むK氏と食事を共にする予定であったのだが、予定が狂ってしまった。途中の白坂一里
 塚跡まで車の出迎えを受けて、キセルのようにおよそ2キロを中抜きしてしまった。これまでにない失
 態である。

           

 <牟礼宿~柏原宿>
  K氏、I氏にお昼を御馳走になって、牟礼宿の中心部飯綱役場前に。この常夜燈の前が本陣跡に当
 たる。證念寺の前を直角に左折し十王坂を上る(左に十王像)。

  信越線をまたぐと、右に入る道があって「北国街道」の案内板がある。

  すぐに小玉坂の急坂に入る。「熊の糞を見たら引き返せ」という話を聞いていたので、中山道で手に
 入れたクマよけの鈴を持って行かねばと思っていた。そのうち忘れてしまったので、恐る恐る歩くこと
 になったが、今日は日曜日で熊もお休みのようで、会わなくてよかった。
    この道は「美しい日本の歩きたい道500選」のひとつとか。

  小玉坂はおよそ3.5kmある。  


           


           

  
  道は立派な杉木立の中を進む。小玉一里塚跡、清水窪明治天皇小休所などがあって、落影集落
 の四ツ角に着く。
  この後国道18号に合流、小古間のバス停から左に入り旧街道を進む。
  小古間は眺望に恵まれ、飯縄山、戸隠山、黒姫山、妙高山の4山を望むことが出来るというが、残
 念なことに今日は山はほとんど雲に覆われていた。
  この先に古間一里塚跡があった。
  古間は上杉謙信時代から宿場であったが、江戸時代になって柏原宿と合の宿となり、月の後半は
 古間宿が馬の継ぎ立て業務を担った。

           


           


        

 <柏原宿~野尻宿>
   
国道18号を渡り、古間上町へ。小林一茶の故郷らしく随所の一茶の句を刻んだ石碑などが見ら
  れる。 
   
古間・柏原は昔から鎌の産地として有名で、今でも店が何軒もある。 
   
本陣跡を過ぎて信越線の踏切を渡る。鳥居川を寿橋で渡り坂を登ると再び18号と合流する。
  左に一茶の旧宅(「これがまあ終の栖か雪五尺」の土蔵)。その傍らには弟の家がある。
  
           


           


           

  その先右側には柏原宿本陣跡が。
  更に3キロ近く歩くと野尻一里塚跡がある。一里塚跡としてはなかなか立派なもの。
  野尻湖は我が国ではめずらしいナウマンゾウの化石が見つかった場所として知られている。
 (マンホールの蓋の意匠とナウマンゾウ博物館)
  明治天皇野尻御膳水碑があった。
  海抜865mの野尻湖は、軽井沢・宮城県高山と並び日本三大外国人避暑地として知られている。

           


           


     


  (以上この項終わり)
  
  

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