読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

犯罪少年・心の闇・告白

2009年04月29日 | 読書

湊かなえ著 「告白」    2008.8刊 双葉社1,400円

 
本書は昨年8月に第1刷が刊行されてのち、11月に既に第9刷が出されるという
人気の作品で、妻が昨年11月に市の図書館にリクエストしてようやく順番が回って
きて、一気に読み終えたものを返却する前にちょっと読ませてもらった。
 ちょっと無理筋なところもないではないが(どんな名作でも読む人によってはどこ
かに必ずと言っていいほど「それはちょっとないんじゃないの」とか、「ご都合主義」
といった部分はあるもので、だからといって必ずしも全体の価値を貶めるものでも
ない。)、面白かった。

   

 少年法適用年齢者の犯罪が増えて、その社会的背景が大いに議論されている。
事件が起こるたびに、新聞・TVなどはいわゆる少年心理学、社会心理学、犯罪
心理学などを修めたその道の専門家が登場して、それぞれの立場から事件の起
こった背景、というか犯罪を引き起こした犯人の動機などについて解説をさせる。
家庭・生い立ち・コミュニティ・学校・社会など、彼あるいは彼女を取り巻くあらゆる
ものに原因があって、それぞれがそれなりにその犯罪に責任がある。などともっと
もらしく分析される。

 何ごともその背景、ことの起きた環境は一様ではなく、「心の闇」などとくくってし
まうまでもなく、一口で言ってしまえる動機などありよう筈もない。ただただ人の命
や生あるものに対する人間としての対峙の仕方が昔とすっかり変わってしまった
ことだけが明らかで、その原因がどこにあるかと言えば、確かに我々大人のせい
ではある。だからと言って犯罪が許されていいわけだはないが、少年法のように
ある一定年齢の者には責任能力がないものと見做して、更生の可能性を前提に
して社会の目から隠そうとする仕組みは、悪智恵が働く「悪がき」に利用されて、
被害者側の心を私的制裁に走らせることもある。
 本書「告白」も、ひとつのテーマはそこにあるようだ。

 被害者置き去りで犯罪者の人権ばかりが擁護される。それは刑法理論で「教育
主義」をとるか「応報主義」を取るかによるが、もともと人間社会のルールは応報
主義が主流だったと思う。「眼には眼をもって報いなければならない」は人間心理
に素直に従うからである。バランスがとられるということで社会的安定が得られる。
 法制度に任せていても犯人の人権尊重主体で被害者の人権はそっちのけ。ひ
どい場合は「そんな被害に会うのは被害者にも責任があるんじゃないの」だ。マス
コミも興味半分の視聴者向けの視点で取材する。被害者の不満は高まるばかり
だ。

 被害者が法的制裁で満足が得られないと確信すると私的制裁に走る。何とか
法制度によって制裁から免れる犯人を懲らしめたい。工夫を凝らすが、その制
裁自体が犯罪を構成してしまうケースが多いが、本書では「なるほど、そんな手
もあったか」と膝を打ったほどだ。
 犯罪証明ができないのだ。確かにその手が利く環境にあったといえばその通り
だが、心理的に犯人を追い詰めるという視点がいい。

 作中、登場人物のそれぞれにそれぞれの立場から語らせるという手法は特に
珍しくはない。しかし「藪の中」のようにそれぞれに言い分が異なり真相がさっぱ
りわからなくなる類のものではなく、素直である。
 共働きの育児中教師。結局は育児より仕事を取って離婚した母親。子供にの
めりこむ母親。頭はいいが自己中の少年。気は優しいが内向的な少年。熱血性
だけが売り物の教師等々登場人物に語らせる事件の背景と流れは引き込まれ
る。
最終章がまた意外性をもっているので多くは語らない。

<付録>
[最近の庭の花々]
      
   西洋シャクナゲ         クレマチス            モンタナ

     
     プリンセス雅子          スズラン 

 

 

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