JCP市原時夫です

千葉県房総の睦沢町から、政治・経済・歴史・オペラ・うたごえを考えるgabuku@m12.alpha-net.ne.jp

明治維新以後の日本を翻訳から考える  「翻訳と日本の近代」

2011年09月09日 | Weblog
 加藤周一氏は、戦後の日本が価値観を一夜にして変えたこと、知識人の戦争責任などそれは、なぜか、という問題意識が根底にあったように思います。
 「翻訳と日本の近代」丸山昌男氏に聞くという対談を本にしたのが、この本です。
江戸時代からの経過も含めて明治以後の外国語の翻訳を急速にすすめた、日本の近代について分析しています。
 わたしは、なぜ、日本は他のアジア諸国とちがい、植民地にならなかったのか?なぜ、侵略の道をすすんだのか?、明治維新は民主主義革命か?などの疑問を持っていました。
 この本の中では、「アヘン戦争の結果に震撼した}(丸山)ショックから、急速な近代国家の必要性を感じて、「徹底的な情報獲得が必要で、したがって翻訳が必要だということになる」(加藤)と述べています。
 対外的には「クリミア戦争と南北戦争は大きい。・・・・ひとの国に行くところじゃない。その二つの理由で、日本に対する圧力が急激に減少した」(丸山)と言っています。
 「距離の問題もあったでしょうね」(加藤)。
 以前歴史の先生に聞いたときには、この外に、日本の軍事力、セポイの乱でのインド人の植民地への抵抗の強さなどいよるイギリスの政策の変更など、さまざまな要因を指摘されていました。
 不破哲三さんは「まわりの国ぐにを従属させることで、大国の仲間入りをしようという根性が早くも現れたわけで、この横暴なやり方が35年後の「韓国併合ににつながっていった」」「つまり、弱い民族を支配する帝国主義的な国になることによって、大国の世界へ仲間入りをしようと」と書いています。(新・日本共産党綱領を読む」。
 この「新・日本共産党綱領を読む」は、歴史書ではなく、日本共産党の現在の基本的方針を決めるときの綱領についての報告集ですが、現在もつづく戦争美化の教科書など「侵略戦争はなかった」「アジア解放の戦争だった」などの間違った見方を歴史的に打ち破っている書でもあります。
 「日本近現代史を問う」(学習の友社)は、明治維新を国家権力と民主主義の側面から見て、民主主義革命と言えない。いっぽう、上からの強引な資本主義化という点について「たしかに革命的であり、資本主義化をうながすmのでした、この面だけをとあらえれば、革命です」とイギリス・ドイツ・フランスなどのつまみ食い近代について「ある種の典型的な近代化のモザイク模様」と分析しています。
 ただ、この本の「沖縄はなぜ戦場にされたのか」の部分は、沖縄の特殊性を強調しすぎているのではないかという気がします。