JCP市原時夫です

千葉県房総の睦沢町から、政治・経済・歴史・オペラ・うたごえを考えるgabuku@m12.alpha-net.ne.jp

「わが街ふるさと」 が「赤旗」に掲載

2011年09月08日 | Weblog
 「赤旗」日刊紙で、日本共産党地方議員が書いている「わが街ふるさと」欄に、睦沢町をかいた私の記事が掲載されました。
 町外から来た友人たちは口々に、「いい街だね」と言ってくれます。
 先日も中央公民館で開いた「平和といのちをかんがえる会」にびっくりしたのですが、歌が好きな友人は「こんないい街があったのか」と驚いていました。
 高い国保税など、行政の問題は多いのですが、自然と人情と子供達を大切にする人の心がすてきなまちです。



 記事の内容です。
 わが睦沢町(むつざわまち)は、千葉県の房総半島中央部よりやや東南に位置する、人口7500人の小さな町です。お隣、一宮町や御宿町、勝浦市に比べ、よく知られていません。 古代の遺跡や「吾妻鏡(あずまかがみ)」で紹介されている鎌倉時代の城跡・大柳館(おおやなぎのたち)のあった場所は、わが家のすぐ近くです。
 昭和初期には、日本共産党員もいっしょにたたかった、旧・土睦(つちむつ)村小作争議には、弁護士の布施辰治も来援したと土睦村史にはあります。
 農民学校を開校し子どもたちに勉強も教えるやり方は、プロレタリア作家の立野信之が、「少年隊」と題して短編に書きました。 また、1961年6月からの「アカハタ」日曜版に作家・金親清が連載しました。
 こうした、子どもを大切にする伝統は、全国に先駆けた、学校給食の自校方式ランチルームの導入と、その後の給食センター化の押しつけを許さない新日本婦人の会をはじめ、保護者の熱い運動に引き継がれています。
 若いお母さん方と一緒に始めた学童保育は、自力で当初4人の学童で民家を借りてとりくみまし。
 その後、町社協の事業として、現在では旧保育所を利用して夏休みは60人が利用する、地域にとってはなくてはならないものになっています。
 平成の合併を周辺自治体住民とともに、はね返しました。原点には、茂原市の大借金を孫子の代にまで継がせたくないという思いがありました。
 町の無形民俗文化財の踊り「佐貫季寄(さぬき・きよせ)」も子どもたちの踊りです。
 今も、私の地元寺崎では「勝見和太鼓」として子どもたちの太鼓があります。
 伝統文化と平和への思いは、歴代の学芸員の努力もあり、議員として要望した歴史民俗資料館の町民の戦争体験(睦沢町史研究別冊)として作成されました。各地から訪問者が来ています。
 睦沢町は自然豊かな夕日のきれいなところです。私が子どもの頃、北海道日高地方で見つめた夕日が、この地でも輝いています。
(睦沢町議・市原時夫)