JCP市原時夫です

千葉県房総の睦沢町から、政治・経済・歴史・オペラ・うたごえを考えるgabuku@m12.alpha-net.ne.jp

安重根の評価

2013年10月06日 | Weblog

安重根(あんじゅんぐん)について、考えさせられたきっかけは、笠木透詩 鈴木幹夫作曲・歌です。「南山NAMSAN」(CD文庫NOL.2 ホウセン花ー韓国併合100年 笠木透と雑花塾)
 当時は、韓国の植民地支配に怒りを感じたテロリストとしての認識があったのですが、この歌を聴いて、安重根について知りたいと感じたのです。
 その後、東京駅丸の内 側の巨大な書店で偶然見つけたのが、「仁の人、義の人、信の人 安重根」(愛知宗教九条の会 発行)でした。
 さらに、志位和夫さんの「綱領教室 第1巻」で、安重根についての記述を見つけました。
 朝鮮独立義勇軍の中将として
 安重根は、「日本がロシアと開戦した時には、その宣戦布告書に『東洋平和の維持、韓国独立の強固』を嘔いながら、今日に至るもその信義は守られず、かえって侵略した」ことから武力による解放・義挙を起こし参謀中将に選ばれました。
 そして、日本兵との戦闘が行われ、安重根は、日本兵の捕虜の扱いについても、仲間の反対もありましたが、釈放することもありました。
 安重根の伊藤博文殺害は「東洋平和と韓国独立のためには、それを阻む裏切り者の伊藤さんをまず倒さなければならなかった」と述べ、「私は朝鮮独立義勇軍の参謀中将だる。その立場¥で、東洋平和に外をなす伊藤さんを射殺したのであって、これは朝鮮対日本の戦争の一環である」と終始主張しています。 
 私は、安重根の立場・主張と行動は一貫していると思います。
 
 カトリック信者としての反省も
 一方では、熱心なカトリック教徒として「汝の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈れというイエスの言葉、それに思い至り「私には仁が足りなかった」「伊藤さんにはまたく私怨はなく、公にもご家族にも深くお詫びを申し上げたい」と自らの生涯を仁の理想から顧み、足らざるを悟った。と「安重根」の本の「はじめに」に書かれています。
 
 朝鮮半島分断の日本の責任
 志位和夫さんの綱領教室第一巻では、非常に重要な指摘がされています。第一は朝鮮半島がなぜ分断されたか、敗戦国の植民地として終戦を迎えたことが、その後の、アメリカやソ連の介入を許す結果となったこと。その後の独裁政権時代の大きな原因が「植民支配によって民主主義的な政治訓練を積むことができなかった」こと。当時の歴史的条件であっても植民地支配は、正当化できないということです。
 韓国の民主的発展と今なお残る分断の大きな責任の一端が日本の植民地支配にある事実を改めて考えさせられました。