2006年3月3日のブログ記事一覧-ミューズの日記
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<あれも聴きたい、これも聴きたい> どんなギタリストがお好み?編

皆さんはどんな演奏家(ここではギタリストに絞ってもいいと思います)がお好みですか。
タイプとしてはいろいろあるけども、それは皆さんそれぞれの好みの問題なので、「それはおかしい」と言い合うのはやめにして、どうですか?
セゴヴィアから始まって、イエペス、ブリーム、ジョン、最近来日しておなじみになったオスカー・ギリア、昔来日したアリリオ・ディアス、ホセ・トーマス、ホルヘ・アリサ、そうそうかの有名なレヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサも来日したわなあ。(なんだか九郎判官源義経みたいな長い名前)まだまだいます。ペペ・ロメロ、アンヘル・ロメロ、パークニング、ビテッティ、など。
そのあたりまではスッと名前が出てくるけども、最近は若くて上手い人達が続々と登場しとりますが、あいにく名前がスッと出てこん。

そこで私の結構長いギターとのお付き合い中で感じることは、特に巨匠と呼ばれるギタリストの方の晩年の演奏よりも、どうも若いはつらつとしていた頃の演奏の方に魅力を感じてしまうこと。
セゴヴィアにしても、古いモノラル録音のころはテクニックも含めてほんとにえがった。信じられんようなええ演奏をしとった。
イエペスにしても、私の好みとしては若かりし頃、6弦ギターを弾いとるころの演奏がどうしても魅力的。10弦になってからは、どうも音が重い方に偏って、好きになれん。
ブリームも20・30・40代ととてもかっこえがった。さっそうとしとったわなあ。
おいちゃんたちはみんなイエペスやブリームにあこがれたもんやった。
「イエパスはここんとこ、こうやって弾いとる」とか「いやいや、ブリームはこうやとるがね」とか、なんとか彼らとおんなじように弾きたくて真似ばっかりしておった。もっとも真似といっても、まったくおんなじように弾けりゃあたいしたもんで、そうはいかんかったけども。

でも最近で言うとあの廉価版CDのナクソスに登場する若いギタリスト達、とてもいい演奏をしとると思わん?(修正しとるんかもしれんが)ソルはソルらしく聞こえるし、コストはコストらしく、タルレガもレニアーニも。勿論そんな古典の作曲家ばかりでのおて、近現代の作品にしてもみなそれらしく素直に聞ける。
確かに巨匠といわれる人達の年輪というものはあるんかもしれんが、あくまでもおいちゃんの好みとしては、どうも若いピチピチした人達の演奏の方が素直に聴けてしまう。ピチピチした若い方がええのは女の子だけかと思ったら、男性にしても若いピチピチの方がいいようだ。

確かにナクソスに登場するギタリスト達は、セゴヴィアやイエペス、ブリームといった巨匠に比べると「個性」ということからみると乏しいかもしれん。
個性、個性と言ったって、素直に良いものを目指していけば、そこから個性が生まれて来るんだと思うし、敢えて個性的なものを目指す必要はないと思う。
なんかひねくりまわしたような不自然な個性よりも、素直にそのまま弾いてくれた方がどうしても好感が持てるってえもんさな。そういう演奏だとソルやジュリアーニも聴きたくなっっちまう。どうも歳をとるに従って、演奏家が作曲家より必要以上に前へ出てしまうんかもしれん。勿論前に出てもええけども、演奏がどんどんくどくなっていくみたいなのは困る。

そういえばギターに限らずそのほかの楽器も、みなそろって超若手のオンパレードだわなあ。若いはつらつとした演奏は、聴いとっても気持ちがええ!
ヴァイオリンなどは10代が当たり前で、20代ともなるともはや中堅に見えてしまう。ついこの前まではスターンやオイストラッフ、シェリングといった人達が現役だったのに。いまでは60代や70代のヴァイオリニストが舞台で演奏しとるのを見ると、10代の人達の演奏を見慣れた方としては、なにもそんなお年になってまで、そんなに苦労せんでもええのに、というふうに見えてしまって、なんか悲壮感が漂ってしまうもんなあ。(ごめんなさいね)

こう考えていくと、どうも人間ひとつのことを長くやっていけばいくほど上手くなるとは限らんのかもしれん。なんでやろ。
そういう巨匠と呼ばれた人も、若いころは自分より上のものを目指したんやろうけども、巨匠と呼ばれるようになっちまうと、今度はまわりが自分を目指してくるんやろうから・・・。そんなことも関係しとるんかもしれんなあ。


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