バルトロメオ・スケドーニ Bartolomeo Schedoni 1)の「慈愛(La carita)」(1610年以降)。
これを最初に知ったのは、どこでだろう。
「慈愛」と言う伝統的な呼称は、ある物乞い(孤児?)に一切れのパンを差し出す、白い被り物(ベール)をした女性(の慈愛性)による。(そもそも「慈愛」などを擬人化する場合、女性が描かれるものだ)
だが、むしろ、画面左の杖をついた盲目(もうもく)の少年の虚(うつ)ろな表情が印象深かった。いや、その右画面にいる、裕福そうな幼子との対比で、さらに強烈な印象を受けたのかもしれない。光と影とのコントラストと、細部のすみずみまで細やかな写実性と力強さが感じられるが、その中でもひときわ際だって、見えないはずの目からの視線が、力強く、そして、痛かった。
【注】
1)スケドーニ:(1578年-1615年)17世紀イタリア・バロック期のエミリア派を代表する画家。
1578年モデナで生まれ、1607年(or1608年)からは、当時パルマを支配していたファルネーゼ家の庇護(ひご)の下で活躍した。どうやら、何かと喧嘩っ早い性格だったらしく、とにかく裁判沙汰を引き起こしていたらしい
スケドーニの生きていた頃と言えば、
政治的には、イギリスはエリザベス一世(ヘンリー8世の2番目の奥さん・アン・ブーリンの娘。むろんイギリス国教会)が、
スペインはフェリペ2世(カトリック。スペイン最盛期の国王)が、
フランスはアンリ4世(プロテスタントだったが、王位についた後はカトリックに改宗して、プロテスタントにも個人としての信仰の自由を認める「ナントの勅令」を出した)などがいた頃、つまり絶対主義国家の頃。
アメリカでは植民地化し始めた頃。
日本では、江戸時代になった頃に、この絵が生まれていたことになる。
文化的には、ルネサンスからバロックに移り変わる頃というべきか。
故に、ルネサンス期の有名な、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロ、ラファエロ、またコレッジョなど(の作品群)が在った。
スケドーニの生きている頃は、カラヴァッジョやルーベンスなど。イギリスではシェイクスピアの作品が世に生み出されていた頃でもある。
ベラスケスやスルバランが活躍するのは、もう少し後。
実は、これが目当てで、この前、パルマ展@国立西洋美術館に行く。
なんとはなしに、
『富む者と貧しい者とは互いに出会う。』
(旧約聖書・箴言 22章2節)
が、頭をよぎった。
作者がそういう意図ではないと、うっすら知りつつも。
ついでに、今回、コレッジョも好きになった。
【参考】
・高梨光正監修「パルマ -イタリア美術、もう一つの都-」,読売新聞東京本社,2007
・サルヴァスタイル美術館 http://www.salvastyle.com/index.html
・成瀬治他監修「山川 世界史総合図録」,山川出版社,2001
【引用】
・聖書 新改訳,日本聖書刊行会,第2版,1987
P.S―ブログ上では、やはり小さくしか見えないんですね。残念。
これを最初に知ったのは、どこでだろう。
「慈愛」と言う伝統的な呼称は、ある物乞い(孤児?)に一切れのパンを差し出す、白い被り物(ベール)をした女性(の慈愛性)による。(そもそも「慈愛」などを擬人化する場合、女性が描かれるものだ)
だが、むしろ、画面左の杖をついた盲目(もうもく)の少年の虚(うつ)ろな表情が印象深かった。いや、その右画面にいる、裕福そうな幼子との対比で、さらに強烈な印象を受けたのかもしれない。光と影とのコントラストと、細部のすみずみまで細やかな写実性と力強さが感じられるが、その中でもひときわ際だって、見えないはずの目からの視線が、力強く、そして、痛かった。
【注】
1)スケドーニ:(1578年-1615年)17世紀イタリア・バロック期のエミリア派を代表する画家。
1578年モデナで生まれ、1607年(or1608年)からは、当時パルマを支配していたファルネーゼ家の庇護(ひご)の下で活躍した。どうやら、何かと喧嘩っ早い性格だったらしく、とにかく裁判沙汰を引き起こしていたらしい
スケドーニの生きていた頃と言えば、
政治的には、イギリスはエリザベス一世(ヘンリー8世の2番目の奥さん・アン・ブーリンの娘。むろんイギリス国教会)が、
スペインはフェリペ2世(カトリック。スペイン最盛期の国王)が、
フランスはアンリ4世(プロテスタントだったが、王位についた後はカトリックに改宗して、プロテスタントにも個人としての信仰の自由を認める「ナントの勅令」を出した)などがいた頃、つまり絶対主義国家の頃。
アメリカでは植民地化し始めた頃。
日本では、江戸時代になった頃に、この絵が生まれていたことになる。
文化的には、ルネサンスからバロックに移り変わる頃というべきか。
故に、ルネサンス期の有名な、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロ、ラファエロ、またコレッジョなど(の作品群)が在った。
スケドーニの生きている頃は、カラヴァッジョやルーベンスなど。イギリスではシェイクスピアの作品が世に生み出されていた頃でもある。
ベラスケスやスルバランが活躍するのは、もう少し後。
実は、これが目当てで、この前、パルマ展@国立西洋美術館に行く。
なんとはなしに、
『富む者と貧しい者とは互いに出会う。』
(旧約聖書・箴言 22章2節)
が、頭をよぎった。
作者がそういう意図ではないと、うっすら知りつつも。
ついでに、今回、コレッジョも好きになった。
【参考】
・高梨光正監修「パルマ -イタリア美術、もう一つの都-」,読売新聞東京本社,2007
・サルヴァスタイル美術館 http://www.salvastyle.com/index.html
・成瀬治他監修「山川 世界史総合図録」,山川出版社,2001
【引用】
・聖書 新改訳,日本聖書刊行会,第2版,1987
P.S―ブログ上では、やはり小さくしか見えないんですね。残念。