さすらうキャベツの見聞記

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教育と洗脳 (4)

2016-01-21 01:45:08 | Sunday 集会・生活
『これは、神を求めさせるためであって、

もし探り求めることでもあるなら、

神を見いだすこともあるからです。』

(新約聖書・使徒 17章27節)



(続き)



 その後、元の話にいつの間にか戻り、同居人が、再度、

「そんなに心配なら、(自分を)洗脳でもして、信じさせておけばよかったのに」

と吐露(とろ)した。


 先の話で、教育されてなくても聖書を信じる者もいるし、そうではない者もいる…という話のあとで、

こういう感想が出てくることに関して、誤解がないよう、私の知りうる範囲で記しておかなければならないことは、

この言葉(感想)は、この発言者の“好意”であるということだ。



    ************


 この発言者(同居人に限らず)は、今、そもそも、救われたいと思っていない。

 不自由があっても抑圧されていても、だからといって“神”とよばれる存在に

 すがって、解決される、事態が良くなるとは思っていない。

 そもそも“創(つく)り主(ぬし)”がいる、とは、思っていない。

 加えて、「そんなものを信じたって虚(むな)しい」と示す人々も見ている。




 一方で、真面目に信じて、心底、自分のことを心配して言ってくれる人々がいる。

 その愛情も感じている。




 だからこそ、自分はそう信じたいとさえ思っていないけれど、それが本当だというならば、

「洗脳でもしておけばよかったのに」

 という発言に至ったのだろう。

 (ただし、こちらからすると、侮っているな、という感も否めない)




     **********


 そんなわけで、こう返答した(ような気がする)。



「いやいや、教育されたから、とか、洗脳されて、信じるものではない。

 クリスチャンになる、ということは、それと同時に、

 主が内在される(神がその人のうちに住まわれる)ってことだ。洗脳でそうなるワケではない。



 加えて、私たちは、命令されたことしかできないような旧型ロボットのように、創られたのではなくて、

 選択の自由を与えられているんだ。

 強制されて、信じるものでもない。



 ただ、その自由をもって、

 自分(神)の元に戻ってきてほしい、と願っておられるんだよ」



         



『私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。

 あなたは いのちを 選びなさい。』


(旧約聖書・申命記30章19節)



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