さすらうキャベツの見聞記

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教育と洗脳 (3)

2016-01-21 02:14:58 | Sunday 集会・生活
こどもの権利に関する条約14条1項

 「締約国(ていやくこく)は,思想,良心及び

宗教の自由についての児童の権利を尊重する」


14条2項 

「締約国は,児童が1の権利を行使するに当たり,

父母及び場合により法定保護者が 児童に対し

その発達しつつある能力に適合する方法で

指示を与える権利及び義務を尊重する」



(続き)



「じゃあ、たとえば、いわゆる洗脳はどういうことかとなると・・・

 たとえば、『外部との接触・交流をなくして、

 外は自分に害をなすと教え込むこと』・・・というのは、洗脳(の一種)と言えるかもしれない」


「そうね。そういうのがあったら、洗脳と言っても

 おかしくないね。」

 同居人は、2杯目のごはんを盛りつつ、言った。


「一方、教育というと・・・、

 親は、自分の正しいと考える通りに従って、子どもを教えることはできるよね。」


「うん。

 だから、(おばあちゃんたちが)『クリスチャンになれ』というなら、そう教育すれば

 良かったのに」


 コーヒーをまた一口飲み、キャベツは首をすくめて言った。


「いやいや。

 いくら、『そんなのに行って、何になる!』などと罵(ののし)られたり反対されても、

 私みたいに クリスチャンになる奴もいるわけで、さ。」


「うん。キャベツは、そうだったね」


「信じるなって言われても、

 こうして、それを選ぶ者もいる。

 信じろ、って言われても、

 そうならない者もいる」


「まあ、そうだね」


「子は、たしかに 親の影響下にあるが、

 何を選択するかは、本人の自由だよ」


 ふむふむ、と理解を示すような動きをする同居人に、私は、だけどね、・・・と、少々ことばを濁した。


「ただ、いくら、その人の自由だからといって、

 たとえば、『オウム真理教に行きたい!』とか『ISに入る!』というのを、

 OKとするか・・・」


 同居人は、しばし黙ったのち、難しいね、と考え込む顔つきになった。


(続く)




(ちなみに、広辞苑によると、

「教育」=「教え育てること。望ましい知識・技能・規範などの学習を促進する
      意図的な働きかけの諸活動」

「洗脳」=「新しい思想を繰り返し教え込んで、それまでの思想を改めさせること」

です。

 会話自体は、「教育と洗脳の違い」そこそこに、「個人の選択の自由」のほうに若干シフトしてしまっていますが…)
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