いつから、人は、「笑顔」から「無気力(アパシー)」になるのだろう?
「訪タイ記 1) 国境へ」
「訪タイ記 2) 国境の診療所α」
「訪タイ記 2) 国境の診療所β」
「訪タイ記 2) 国境の診療所γ」
「訪タイ記 3) ドリアン」
「訪タイ記 4) 難民キャンプα」 「β」 「γ(学校)」
「δ(カレン族とキリスト者)」 「ε(仕事があること、時間があること)」
「訪タイ記 5)国境にて」
「訪タイ記 6)つれづれなるままに」
「訪タイ記 2) 国境の診療所α」
「訪タイ記 2) 国境の診療所β」
「訪タイ記 2) 国境の診療所γ」
「訪タイ記 3) ドリアン」
「訪タイ記 4) 難民キャンプα」 「β」 「γ(学校)」
「δ(カレン族とキリスト者)」 「ε(仕事があること、時間があること)」
「訪タイ記 5)国境にて」
「訪タイ記 6)つれづれなるままに」
(空は真っ青だった)
(カレン族の家は、高床式)
(家々の間を、てくてく歩く)
あるご家庭に、訪問させていただいた。
ご夫婦と生後1か月の赤ちゃんのいるご家庭だった。
奥さんは、10年前の10歳の頃、病気をもっているご両親と一緒に逃げてきた、という。
赤ちゃんはすやすや眠っている。
仏教徒だそうで、そのための神棚?のようなものがあった。
奥さんは日中、育児をしたり調理をしたり(隣の部屋に調理コーナーらしきものがあった)、
旦那さんは、洗濯をしたり、水浴びをしたりして過ごす、という。
私は、ここに来るまでに会った、
小さな子どもたちの笑顔、
熱心に仕事を身に付けようとしていた少女のまなざし、
そんな光景ばかり見てきたためか、
目の前にいる人の表情に、何と言ったらよいか戸惑ってしまった。
・・・無表情、なのだろうか。
・・・あきらめの表情、なのだろうか。
・・・それとも、これが「フツウ」なのだろうか。
軽いことから始めて、いろいろと教えていただきたいことはあったが、ちょっと聞きにくい雰囲気だった。
加えて、たとえ、何か要望があったとしても、私に何かできるわけでもない。
家庭訪問させていただいたことがご迷惑だったかな、と思ったが、
(一応)そういうわけではない、ただ、お菓子も出せず申し訳ない、というお返事だった。
そこで、私は、ふと、あまり無さそうな質問をした。
「難民キャンプにいて良かった点はありますか?」
(これがない、あれがない、だけではなく、今の状況でありがたい(感謝できる)点をもっていたら-。
キャンプ外にいて、スモーキーマウンテンのように、ゴミをあさらなければならない人々よりは、ここにいる人々は援助があるわけだし、銃撃戦もないわけだし・・・)
すると、それまでうだるそうな様子だった奥さんが、激しく声を発した。
カレン語ができない私でさえ理解できる程、それは激しい否定だった。
さっきまでの、無気力な、なげやりな感じがうそのように。
少し間を置いて、旦那さんは言った。
皆で助け合えることは、イイことだ、というようなことを。
でも、仕事がない。
稼ぎがない。
アメリカに第三国定住したい。
そうすれば、子どもに教育をさせてあげられるのに、と。
**************
私たちには仕事がある代わりに、時間がなく、
彼らには時間はあるが、仕事が無い。
「仕事がない」という時間の間は、その代わり、「何かをできる時間」は持っているわけだが、
もしかすると、この暑さでは、何かをする元気も出ないのかもしれない。
(いや、そもそも・・・。 1))
・・・私は、彼らに英語を勉強しているのかどうかさえ、聞くことができなかった。
難民キャンプ内なら無償で教育を受けられるが、外では必ずしもそうではないことも。
私は、ただ、手土産に持ってきたお菓子をそっと渡し、そこをお暇(いとま)した。
(彼女の目には、何が映っているのだろう)
1)→ このとき、マクロでもミクロでも次々に色んなことが
浮かび上がったが、今は何とも言えない。
浮かび上がったが、今は何とも言えない。
(続く)