◇「祈りの作法 (1) はじめに」
◇「祈りの作法 (2a) 基本の基本」
◇「祈りの作法 (2b) 基本の基本<具体例・詳細>」
◇「祈りの作法 (3) 主の祈り」
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…『祈り』はとても大事なコトで、色々とこまやかな注意(作法)があり、私が何かを人様に申し上げるなんぞ本当にめっそうもない、とくらい色々奥深いのですが、まず、滅茶苦茶シンプルな、大事なコトを覚えて祈っていただけたら、ありがたいです。

ちなみに、これは、仏様や神道の神様、ではなくて、私が信頼している「神様」に対して、です。
申し訳ありませんが、仏教や神道などについては私は疎く、そちらについてはよくわかっておりません。そちらを知りたいときは、そちらのお方にお聞きになったほうがいいと思います








(祈りについて、先の基本中の基本「3点+α」を踏まえた、簡単な具体例のひとつ;

○○をありがとうございます。
◇◇◇をくださって、ありがとうございます。
(もし万が一、お願い事があったら)…となりますように。
イエス・キリストの御名によって、アーメン」)







上記に関して、ちょこっと詳細;

ただ、人間同士でも、職場や学校でも「誰かにお願いする/誰かを信頼する」とき、「全然、できない人/ムリな人」にお願いしないで、「それができる人/信頼できる人」にお願いするかと。


私の場合は、聖書に記されている「神様」。
その他の表現としては、「主(しゅ)なる神」、「創造主であられる主」、「憐れみ深い、私たちの主なる神様」、「天にいらっしゃる、まことの神様」、「アブラハム・イサク・ヤコブの神」…などなど色々あるけれど、

「(本当にいるのかいないのかわからないけれど、もし、いらっしゃるのでしたら)キャベツの(信じている)神様」
という表現が一番素直かもしれません。
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基本的に、「罪ある私たち人間が、聖なる神様に向かって、畏れ多くも祈ることができるのは、ただ、主イエス・キリストの十字架の死、その贖い、その仲介に依るので、祈る時には『イエス・キリストの御名によって』ということばや思いが、肝心。
ちなみに、実は、イエス様ご自身からも、「その名によって祈るなら、父(なる神様)はなんでも、あたえられますよ」(ヨハネ16:23-24)とお墨付き。ただし、イエス様の御名をもちだしたから、なんでも自分の思い通りになるか・・・というと、そうでもない。
もちろん、イエス・キリストが誕生する前(つまり、B.C.(紀元前)の頃)も、「神様」に向かって祈ったことが記されている。そのときは、動物の血をささげていました。
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「ありがとうございます」
とお礼を言うことも忘れずに・・・。

(とはいえ、キャベツ自身、昔はそういうことが多かったような…

そもそも、私たちがお願いする以前に、また、お願いする以上に、神様はいろいろな物をくださっていらっしゃるんですよ、ネ。


◇「祈りの作法 (1) はじめに」
◇「祈りの作法 (2a) 基本の基本」
◇「祈りの作法 (2b) 基本の基本<具体例・詳細>」
◇「祈りの作法 (3) 主の祈り」
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祈りの基本・・・と言うと、
もしかしたら、ある人は「主の祈り(Lord's Prayer)」を、挙げられるかもしれません。
「天にまします我らの父よ。
ねがわくは御名をあがめさせたまえ。
御国をきたらせたまえ。
みこころの天になるごとく、
地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。
我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、
我らの罪をもゆるしたまえ。
我らをこころみにあわせず、
悪より救いいだしたまえ。
国とちからと栄(さか)えとは、
限りなく なんじのものなればなり。
アーメン」
(新約聖書・マタイの福音書6:9-13)
Our Father which art in heaven,
Hallowed be thy name.
Thy kingdom come.
Thy will be done in earth,
as it is in heaven.
Give us this day our daily bread.
And forgive us our debts,
as we forgive our debtors.
And lead us not from evil:
For thine is the kingdom, and the power,
and the glory, for ever.
Amen.
昔の訳の「文語訳」も、欽定訳(きんていやく、KJV)も美しい。
この「主の祈り」と呼ばれる祈りの中にも、さまざま大事なことが含まれています。
たとえば、「誰に向かって、祈るのか」とか、「まず、神様を賛美したり、感謝すること」とか(まだまだ沢山エッセンスがぎっしり)。
ただ、意味もわからず念仏をとなえるように、これを言えばいいというものでは、なさそうです。
というのも、ここの話の直前に、イエス様ご自身が、こうおっしゃっていたから。
「祈るとき、異邦人(いほうじん;ほかの国々の人)のように同じことばを、
ただくり返してはいけません。」
(マタイの福音書 6:7)
というわけで、これを暗記して、これを唱えよ、というわけではなさそうです。
もちろん、そうしている(=定型祈祷のみの)教会は多いかもしれませんし、もし覚えているならそれはそれで素晴らしいことです。
ただ、念仏もどき(=ここでは、「意味もわからずただ唱えていればOK」の意)にしては、もったいないカモ。
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また、どうぞ、「ことば」と「思い」が乖離(かいり)しないように、お気を付け下さい。
どんなに美辞麗句を用いることができても、心がそう思っていないことは決して祈らないでください。
神様は、その人の心もすべて、ご覧になっていますから(サムエル記第一 16:7,マタイ10:30)。
(「思っていないことを祈る」というのは、「うそバレバレの祈り/偽りの祈り」、
言い換えると「すべてお見通しの神様に対して、偽りを申し上げる」ことにほかならない。) (続く)
◇「祈りの作法 (2a) 基本の基本」
◇「祈りの作法 (2b) 基本の基本<具体例・詳細>」
◇「祈りの作法 (3) 主の祈り」
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もしかしたら、ある人は「主の祈り(Lord's Prayer)」を、挙げられるかもしれません。

ねがわくは御名をあがめさせたまえ。
御国をきたらせたまえ。
みこころの天になるごとく、
地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。
我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、
我らの罪をもゆるしたまえ。
我らをこころみにあわせず、
悪より救いいだしたまえ。
国とちからと栄(さか)えとは、
限りなく なんじのものなればなり。
アーメン」
(新約聖書・マタイの福音書6:9-13)

Hallowed be thy name.
Thy kingdom come.
Thy will be done in earth,
as it is in heaven.
Give us this day our daily bread.
And forgive us our debts,
as we forgive our debtors.
And lead us not from evil:
For thine is the kingdom, and the power,
and the glory, for ever.
Amen.
昔の訳の「文語訳」も、欽定訳(きんていやく、KJV)も美しい。
この「主の祈り」と呼ばれる祈りの中にも、さまざま大事なことが含まれています。
たとえば、「誰に向かって、祈るのか」とか、「まず、神様を賛美したり、感謝すること」とか(まだまだ沢山エッセンスがぎっしり)。

というのも、ここの話の直前に、イエス様ご自身が、こうおっしゃっていたから。
「祈るとき、異邦人(いほうじん;ほかの国々の人)のように同じことばを、
ただくり返してはいけません。」
(マタイの福音書 6:7)
というわけで、これを暗記して、これを唱えよ、というわけではなさそうです。


ただ、念仏もどき(=ここでは、「意味もわからずただ唱えていればOK」の意)にしては、もったいないカモ。
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どんなに美辞麗句を用いることができても、心がそう思っていないことは決して祈らないでください。
神様は、その人の心もすべて、ご覧になっていますから(サムエル記第一 16:7,マタイ10:30)。
(「思っていないことを祈る」というのは、「うそバレバレの祈り/偽りの祈り」、
言い換えると「すべてお見通しの神様に対して、偽りを申し上げる」ことにほかならない。) (続く)
