さすらうキャベツの見聞記

Dear my friends, I'm fine. How are you today?

休もう

2009-10-29 00:08:52 | 日々の雑感
 もうかれこれ5年前にはすでに「一年は休んだほうがいい」と言われ、
 6年前には、(当時の)某助教授に「どうしたら、こんなひどい状態(←自律神経等から疲労度や元気度を測る装置による)が続いているの?」と驚かれ、
 約2年前からは、ある心配症な方から「早く寝てください」と遠いところからチェックが入ることもあれば、
 「○○に似て、とことん走り続けて、急にバタンと動けなくなる」と心配する方もいる。

 …以前のようなムリはしなくなった(できなくなった)が、

 まだまだ体調は万全ではない…らしい。


 前の職場でも最終的に体調を崩し、今の職場はさらに急性期(の職場の)故か、すでに胃炎を一度起こし、「すでにぎりぎりまでがんばっていて、からだがサインを出しているんじゃないか?」と上司には心配(婉曲な・・・勧告?)される始末。



 …いや、自分の体力のキャパを考えないで、行動していたツケでもある。




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 とはいえ、少しは休めるようになるだろう、という感もある。
 というのも、―最近、“東京の家”にもようやく少しずつ馴染み―兄弟姉妹方の温かさと信頼を知り、何年分かわからないくらい嬉し泣きをしてしまったくらいのことがあったからだ。・・・ともに喜んでくれ、ともに心配もしてくれ、加えて、「心配するな。気にしすぎ! あとは聖霊にまかせるしかないんだから」と長老が言ったときは、ほろりとしてしまった。

 教会(私たちは、集会、という)は、「神の家」である、と聖書は言う。
 
 実際、私にとって、八戸の家族、といえば、私の血縁関係だけではなく集会(八戸キリスト集会)の皆のことも指す。
 その後の10年間は、あちらこちら渡りつつ、ひたすら走っているようなものだったが、
 (いつまでここにいられるかわからないが)しばしの間、ここで身を休められるだろう。
 (小さいながらも)責任を少しは果たしつつ。



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 ともあれ、少なくとも月に1日は、休む日を設けよう。
 人前に出るよりもまず、一人の時間―「何もしない」時間、静思する時間、祈る時間、休息の時間etc―を確保しよう。
 しかるのちに、動こう。



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 また昔、ある偉人は、こう言ったそうな。

「私は、今日は特にやるべきことがたくさんある。
 だからこそ今日、私には静かな祈りの時間がたくさん必要なのだ」

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