さすらうキャベツの見聞記

Dear my friends, I'm fine. How are you today?

雑記

2009-10-04 23:59:59 | 日々の雑感
 ある人が、別の人に尋ねていた。
「いったい、その人のどこが好きなの?」と。

  それを聞いていたキャベツは、? と感じてしまった。
 「どこ」。「どこ」ですか・・・ぁ。


       **************


 たとえば、この人の○○が好き、××が好ましい、◇◇っていうところはあるんだけどね・・・、と人は言うだろう。その相手を愛していたり、好きであったりする間は。

 が、これがいったんそうでなくなると、
  ○○だったり、××だったりするんだけど、やっぱり◇◇だから嫌い、となるのだ。

 また、ときには、同じ理由で、人は「好き」だといったり「嫌い」だという。

  それらを見るにつれ、
  人が人を愛する、人が人を好きになる、というのは不思議だなと感じる。










 ましてや、神様が私たちを愛してくださっているということは。


 だが、それを、その資格もとりえもないのにもかかわらず、あつかましくも受け取っているのが、私というクリスチャンであるといえる。
 神様のなさってくださった、十字架のみわざを信じるということを通して。
 神様を信頼するということを通して。



 人は移ろいやすいのだが、この方はそうではないのだ、ということを、
 この方は信頼に足る方なのだということを、
 どうしたら、友人たちは知りえるだろう。



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あなたの愛する方は・・・

2009-10-04 23:29:07 | Sunday 聖書
 旧約聖書のやや真ん中あたり、「箴言」、「伝道者の書」、と続いて、「雅歌」がある。

 雅歌書は、直訳では「歌の中の歌」。「歌の中の歌(song of songs)」、という表現構造は、ヘブライ語の最上級表現であり、「最高の歌」の意であるという 1)。

 直接的には、ソロモン王と、シュラムの女が中心的に対話している形で描かれており、隠喩的には、今の時代では、キリストとクリスチャン(総体的に教会)との愛を示している。 2)

 そんな中、『エルサレムの娘たち』が、あるとき、夫を探し続ける『シュラムの女』に向かって、こう尋ねる場面がある。



     **************



  「女のなかで最も美しい人よ。

   あなたの愛する方は、ほかの愛人より
   何がすぐれているのですか。
   あなたがそのように私たちに切に願うとは。

   あなたの愛する方は、ほかの愛人より
   何がすぐれているのですか。」


     ・・・・・・現代風にいうと、こんな台詞かもしれない。

     「あなたの恋人(もしくは好きな人)って、いったい、どこがいいの?」


     **************



  その問いに対して、シュラムの女はこう答える。


 「私の愛する方は、輝いて、赤く、
  万人(ばんにん)よりすぐれ、

  その頭は純金です。
  髪の毛はなつめやしの枝で、烏のように黒く、

  その目は、乳で洗われ、池のほとりで休み、
  水の流れのほとりにいる鳩(はと) 3)のようです。

  その頬は、良いかおりを放つ香料の花壇のよう。
  くちびるは没薬(もつやく)の液をしたたらせるゆりの花。 4)

  その腕は、タルシシュ 5)の宝石をはめ込んだ
  金の棒。
  からだは、サファイヤでおおった象牙(ぞうげ)の細工。

  その足は、純金の台座に据えられた大理石の柱。
  その姿はレバノン 6)のよう。杉 6)のようにすばらしい。

  そのことばは甘いぶどう酒。
  あの方のすべてがいとしい。

  エルサレムの娘たち。
  これが私の愛する方、これが私の連れ合いです」



  ・・・え~~~っと、ですね。
  たぶん、真っ正直に、この女性のことばをそのまま思い描こうとすると、たぶん、そう、たぶんですね、人ではない何かになってしまうと思うんですよ。
  ええ、たぶん。いや、おそらく。いえ、十中八九。

  ですが、(当時の物資等を知れば、もう少し面白いんですが、ごめんなさい。すぐには確実な資料を「注」に入れられない・・・)それぞれ、結局、すばらしいもの、最上級のもので、愛している方を表現しているんですよね。

 (牧畜文化ではなく、農耕文化なせいか、こんな表現はなかなかないが)。



 ・・・・・・・私は、こんなふうに、神様を賛美できるだろうか・・・・




     *****************


(そして、いつか、

 相方さんとなる方を、こんなふうに大切に、ほめちぎることができるのだろうか。


 日本だと、あまりご自分の連れ合いを人前で賞賛する方は少ないが。)


(思い出したついでにだが、どこかの兄弟も言っていたが、とくに、男性の場合、
 「彼女(妻)のしたことを町囲みのうちで(=公で、人前で)ほめたたえよ」(箴言 31:31)
 とも、旧約聖書の時点で、実は書いてあったりして・・・・・・それにしても、男尊女卑の凄まじいときから、こう記されているとは。
 







【注・参考】
1)マイケル・マクローン;聖書の名句,創元社,2003

2)新約聖書において、キリストと教会とは、花婿と花嫁として描かれてもいる。 
  人と人との中で、もっとも近しい存在であり一つである、夫婦として。


3)

4)

5)

6)今は見る影もないが、昔、レバノンには「レバノン杉」という立派な杉の大木があったそうな。 

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