goo blog サービス終了のお知らせ 

さすらうキャベツの見聞記

Dear my friends, I'm fine. How are you today?

金持ちとラザロ(2)―承―

2007-05-13 21:54:43 | Sunday 聖書
金持ちとラザロ(1)―起―の続きです)

 金持ちさんとラザロさん、このあとに ある同じことが起こります。


  遂(つい)に この貧しきもの 死に、御使(みつかい)たちに 携(たずさ)へられて アブラハムの懐裏(ふところ)に 入れり。

   富める人も また 死にて 葬(ほうむ)られしが、
   黄泉(よみ)にて 苦悩(くるしみ)の中(うち)より 目を挙(あ)げて、遥(はるか)に アブラハムと 其(そ)の懐裏(ふところ)に をるラザロとを見る。

                    (文語訳聖書・ルカの福音書16章22節~23節)



 ラザロさんも金持ちさんも、ある日、死んでしまいました。

   ラザロさんはお葬式もお墓も用意してもらえなかった様子。
   逆に、金持ちさんは荘厳なお葬式をしていただけたのかも。今のキリスト教圏であれば、ゆりの花が飾られそうですが、この当時、この地方ではどんな葬式だったのでしょう(?)

   それにしても、不思議なことがその後にあったものです。

   生前、無価値だったようなラザロさんが御使いたちに連れられて、天国に行き(注;「アブラハムの懐」=「天国」)、

   反対に、金持ちさんは、黄泉 1)でもがき苦しむ状況。

   その金持ちさんがふと見上げてみると、かの有名な祖先アブラハムが見えました。
 しかも、自分の門のところでうちの残飯食っていた、あのラザロが、アブラハム 2)と一緒に。


  (…ああ、死んでも、誰が誰なのか分かるのね...見たことがなくても「アブラハムさんだ」って、分かるのねんw cf.ルカ9:28~,コリント第一13:12)


 Q!さて、そんな光景を見た金持ちさんは、はたして何を願うのでしょう?


 A-1.あのラザロが天国にいるのはけしからん! こっちで苦しめ!!
   2.オレを天国に連れていってくれ
   3.ここを酒池肉林(しゅちにくりん)にしてほしい。
   4.苦しい! のどが渇いた!!
   5.クモのいとをたらしてほしい。


   答えは、お次。




【注】
1)黄泉:ここで「黄泉」と訳されている元の言葉「αδηs(語頭の気息記号は‘なのでhで始まる;ハデス,Hades)」は、簡単に「肉体の死の後に移される所」を指し、「最後の裁きのあと、罪人が入れられる苦しみの場所」は「ゲヘナ」とされている。
    が、ここでは、もう金持ちさん、苦しんでいる…


金持ちとラザロ(3)―転―に続く)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金持ちとラザロ(3)―転―

2007-05-13 21:53:17 | Sunday 聖書
金持ちとラザロ(2)―承―の続きです)


 黄泉にいる金持ちさんは、こんなことを願います。

 乃(すなは)ち 呼びて 言ふ
  「父アブラハムよ、
    我を憐(あはれ)みて、ラザロを遣(つかは)し、
    その指の先を水に浸(ひた)して我が舌を冷(ひや)させ給(たま)へ、
    我(われ)はこの焔(ほのほ)のなかに 悶(もだ)ゆるなり」

  アブラハム言ふ
  「子よ、憶(おも)へ、
   なんぢは生ける間 なんぢの善(よ)き物を受け、
   ラザロは惡(あ)しき物を受けたり。
   今ここにて彼は慰(なぐさ)められ、汝(なんぢ)は悶(もだ)ゆるなり。

   然(しか)のみならず、此処(ここ)より汝らに渡り往(ゆ)かんとすとも得ず、
   其処(そこ)より我らに来たり得ぬために、
   我らと汝らとの間に 大いなる淵(ふち) 定(さだ)めおかれたり」

                     (文語訳聖書・ルカの福音書16章24節~26節)



 金持ちさん、1とか2とか思う余裕はなさそうです。
 あの全身できものだらけのラザロさんを天国から遣わして、その指先から冷たい水を飲みたいというほどですから、
 ―何も指先でなくたって、この当時とは言え、コップはなくても何か器(うつわ)はあるだろうに
 よほど、しんどいらしい、、、

                       そんなわけで、答えは4。


 そんな金持ちさんに、アブラハムは、こんな返答をしています。
 「思い出してみなさい。
  生きている間、君は良い思いをしていたが、ラザロはそうではなかった。
  今は逆に、ラザロは慰められて、君は苦しむことになったのだよ」

 「それにね、
  こっちとそっちとの間は行き来できないようになっているのだよ。」


 なんとな~く、このあたりまでを話して、金持ちさんたちに貧乏人に施して、「天に宝を積むように」(cf.マタイ6:1~4,19~20,19:16~21)すすめるような「お・し・ま・い」ということもありそうですが、どっこいそれでは尻切れトンボ。なんで、自分がこっちにいるのか、どうやら金持ちさんは分かっていたようです...

      (続く

 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金持ちとラザロ(4)―結―

2007-05-13 21:52:59 | Sunday 聖書
金持ちとラザロ(3)―転―の続きです)


 思いもよらぬ、金持ちのことば。彼は、どうすればいいか分かっていたような。


 富める人 また言ふ
 「さらば父よ、
 願はくは 我が父の家に ラザロを遣(つかは)したまへ。

 我(われ)に五人の兄弟あり、
 この苦痛(くるしみ)のところに来たらぬやう、彼らに證(あかし)せしめ給(たま)へ」


 アブラハム言ふ
 「彼らには モーセと預言者(よげんしゃ)とあり、
   之(これ)に聴くべし」


 富める人言ふ
 「いな、父アブラハムよ、
  もし死人の中(うち)より 彼らに往(ゆ)く者あらば、悔(くい)改(あらた)めん」


 アブラハム言ふ
 「もしモーセと預言者とに聴かずば、
   たとひ死人の中より甦(よみが)へる者ありとも、其の勧(すすめ)を納(い)れざるべし」

                        (文語訳聖書・ルカの福音書16章27節~31節)




 天国に行くことも苦しみを和らげることもできないとわかった金持ちさん、お次は、まだ生きている自分の兄弟(残り5人とは・・・おや、キャベツのところと同じだ)のことを考えました。(なんて優しいんだ!!)

 そして、アブラハムにこう願ったのです。「ラザロが生き返って死後のことを伝え、悔(く)い改(あらた)めて、こっち(ハデス)に来なくていいようにさせてください

 が、アブラハムはこう答えるのです。
 「聖書(注;モーセと預言者=旧約聖書。この当時成立していたのは、旧約聖書のみ)があるじゃないか。そこに書いてあるのだから、それに耳を傾けるべきだよ」
 耳を傾ける・・・昔、会堂で毎週、モーセの律法や預言者たちのことばは朗読されていました。聴こうと思っていたら、わかるはずだ、とアブラハムは言っているのです。

 それでも、金持ちさんは必死です
 「いいえ、誰か死んだものが生き返ったら、悔い改めます!! お願いします

 ですが、アブラハムが言った事は、そんな楽観的な願いを一蹴する厳しい現実的な答え...
 「もし聖書が言っていることを聴かないのならば、誰か死人が甦って勧めたとしても、聞く耳は持たないだろう」
 というもの。

  確かに、もともと死後の世界があると思いもせず、さばきがあるとも頭の片隅にさえなければ、
 死人が甦ったとしても
「ほんとか~ 眉唾(まゆつば)モンじゃね~の!? 頭、おかしいんとちゃう!!?」と、ケタケタと嘲笑(わら)いそう
 (加えて、現代ならば、死人から甦った人(仮死状態からではなく、本物の甦った人)がいた場合、そのことばを聴くより、「なぜ、そういうことが起こったのか」、実験台にされそうです・・・。)


  まあ、そういう話もありますよってことで、お覚えくださいな。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

受胎告知

2006-12-10 22:39:23 | Sunday 聖書
 御使いガブリエルが、処女(おとめ)マリヤにみごもったことを伝える場面「受胎告知(じゅたいこくち)」―幾多(いくた)の画家が描いてきたが、上の作品は、17世紀イタリアの画家オラツィオ・ジェンティレスキの手による。
この場面、どの画家のも「その当時、イスラエルの一般的な家は、そんな背景じゃなかっただろ~」と思うようなものばかり、加えて、なにやら厳(おごそ)かに書かれていることが多いケド・・・


 多分、今ではあまり信じてもらえないような事実だが、この当時、イスラエルにおいて、婚約した相手がいるのに他の人とSexしたり、もちろん子どもを身ごもったりした場合、そういう二人は石で撃ち殺されるくらい、モラルは厳しかった。


 というわけで、御使いが、
 「おめでとう、恵まれた方。主(しゅ:神様のこと)があなたとともにおられます」
 とマリヤに挨拶をし、おめでた宣言をして、イエスと名づけるようにと言ったとき、
 マリヤがとまどったのも普通の反応だし、
 夫となるはずのヨセフが悶悶(もんもん)と悩んだのもムリはない

 ・・・・・・・・・・・現代の「できちゃった婚」や「不倫」の比ではないんだから。
 それに、一体、誰が「処女が男の子を産む」なんて信じる 


 だが、
 マリヤはこのあと、
 「ほんとうに、わたしは主(しゅ)のはしため 1)です。
  どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように」
 と言って、その信じられないことを受け入れ、
 ヨセフは、夢のお告げで言われたとおり、マリヤと結婚する。
 ・・・・・・・・・・すごいね。
                (新約聖書・マタイの福音書1章、ルカの福音書1章参照



 そして、もっとすごいことに、このことは、その数百年前から神様が告げられていたことの一つだったらしい。

 旧約聖書の「イザヤ書」という有名な預言書(よげんしょ)に、こう記(しる)されている。
 
  「さあ、聞け。ダビデの家 2)よ。・・・・主(しゅ)みずから、あなたがたに一つのしるし 3)を与(あた)えられる。
 見よ。処女が身ごもっている。そして、男の子を生み、その名を『インマヌエル』と名づける。」(イザヤ書 7:13-14) 



 インマヌエル・・・というのは、「神がともにおられる」という意味。どうして「イエス」と名づけるよう、御使いを通して神様がおっしゃったのかよくわからないが、事実、体外受精なんかでもなく、処女がみごもったんだろうな。・・・人は、自分たちができないこと、また今まで見聞きして得た知識外は「ありえない」「信じられない」で終わらせようとするけれど

                                                     

【注】
1)はしため:本当は、召使いの女、という意味だが、この場合、マリヤがとても謙遜して用いている。
       謙遜ということばはふさわしくないかもしれない。
       というのも、実際のところ、「自分は、神様のしもべにすぎない。御前に出る資格さえ、ない」というのが、神様を知っている人々のフツウの感覚のことが多いのだから。

2)ダビデの家:イスラエルの民、全体を指す。

3)しるし:奇跡のこと。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雀の値段

2006-09-10 21:50:10 | Sunday 聖書
こんばんは。お元気ですか?


 ま、元気であろうとなかろうと、折角今日来てくださったんですから、ここを読んでみてくれませんか新約聖書のあるところデス。


  からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナ 1)で滅ぼすことのできる方 2)を恐れなさい。

  2羽の雀(すずめ)は1アサリオン 3)で売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父 4)のお許しなしには地におちることはありません。                                

  また、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。

  だから恐れることはありません。あなたがたはたくさんの雀よりもすぐれた者です。

  ですから、わたし 5)を人の前で認める者はみな、わたしも、天におられるわたしの父の前でその人を認めます。
  しかし、人の前でわたしを知らない 6)と言うような者なら、わたしも天におられるわたしの父の前で、そんな者は知らないと言います。
                      (新約聖書・マタイの福音書10:28-33) 




はい、そこで終わらないで!!   も一つだけ、目を通してみてください


  そこで、わたしの友であるあなたがたに言います。からだを殺しても、あとはそれ以上何もできない人間たちを恐れてはいけません。

  恐れなければならない方を、あなたがたに教えてあげましょう。殺したあとで、ゲヘナに投げ込む権威(けんい)を持っておられる方を恐れなさい。そうです。あなたがたに言います。この方を恐れなさい。

  5羽の雀は2アサリオンで売っているでしょう。そんな雀の一羽でも、神の御前(みまえ)には忘れられてはいません。                   

  そこで、あなたがたに言います。だれでも、わたしを人の前で認める者は、人の子 7)もまた、その人を神の御使(みつか)いたちの前で認めます。
  しかし、わたしを人の前で知らないと言う者は、神の御使いたちの前で知らないと言われます。
                           (ルカの福音書12:4-9) 



  さて、新約聖書には、4つの福音書ーマタイ・マルコ・ルカ・ヨハネーがあります。それぞれ別々の話ではなく、一人の方について書かれています。もちろん、イエス・キリストのことデス 

  で、ここで、多分、もしかしたら、アルことに気付かれたんじゃないでしょうか?






              





 ・・・雀の値段が違うぞ。オイ、どっちが正しいんだ??      ・・・と



  ホント、一体1羽の雀の値段はいくらなんでしょうね~?? 
  ちょっくら考えてみてください。


  








              ・・・で、ここで申し訳ありません、続きはそのうちに。


                    


【注】
1)ゲヘナ:

2)神様のこと。

3)アサリオン:この頃(紀元前後)の最小単位の銅貨。1円みたいなものだろうか?

4)あなたがたの父:神様のこと。「天にいらっしゃいます父なる神様・・・」という表現もありますよね。

5)わたし:イエス・キリストのこと。

6)わたしを知らない:ここでは、「イエス・キリストなんか知らない。そんな奴、私と無関係だ」というような感じ。

7)人の子:イエス・キリストのこと。イエス様が自分のことを指していうとき「人の子」という言い方が多いです。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

嘘つき~罪人

2006-08-06 23:59:18 | Sunday 聖書
「嘘つき」の定義の続きです)

ちなみに、「偽証をする」(=うそを言う)というのも、「罪(つみ)」の一つ。


 おまけにもう一つ。
 聖書によると、(閻魔大王じゃなくて・・・)神様が「義(ぎ:正しさ)」と認めて下さるかどうかで、天国に入れるか、地獄に行ってしまうか、決まる。



 (ひじょ~~~~~~に大雑把に言うと)
 旧約聖書で、
  「じゃあ、どういうことが神様が『義』と認めてくださるの?」
  「何が駄目なの?」(わかりやすく言うと、「何が法律違反なのか?」)
 ということが書かれている部分を
 律法(りっぽう)と言い、
   神様の法律を違反したことを「罪(つみ)」と言う。



   旧約聖書の時代は、律法を守ることで、「義」と認めてもらおうとした(罪を犯したら、動物をささげて、赦してもらっていた)。
今でもそのようにしている方々もいる。
 確かに、それも、天国に入るための2つあるうちの、1つの方法。

   ただし、こんな風に言われている。

   律法全体を守っても、一つの点でつまずくなら、その人はすべてを犯した者となったのです。

   なぜなら、「姦淫(かんいん)してはならない。」と言われた方は、「殺してはならない。」とも言われたからです。そこで、姦淫しなくても人殺しをすれば、あなたは律法の違反者となったのです。(ヤコブ 2:10-11) 




  簡単に言うと、・・・・・ 一つでも失敗したら、あんた罪人(つみびと)だよ。

  嘘一つでもついたら、それで十分「罪人」。
  犯罪一つ犯したら、「犯罪人」なのと一緒。



         ***************************
 


  ついでに、クリスチャンというのを、別のことばで言い換えると
 
  「救われた罪人(つみびと)」

 とも言えるが、また、それは別のトコロで。



                              
 
                                            

                                                      


                                                           
 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「嘘つき」の定義

2006-08-06 22:29:41 | Sunday 聖書
昔昔のことです。いや、それほど昔ではないかもしれませんが。昔、キャベツが悩んだことの一つにこんなのがある。



 新約聖書の中にこんな箇所があります:

 クレテ人の中(うち)なる或(ある)預言者いふ
 『クレテ人は常に虚偽(いつはり)をいふ者、
  あしき獣、また懶惰(らんだ)の腹(はら)なり』
 この證(あかし)は眞(まこと)なり・・・

              (テトス 1:12―13)
 


あとから知ったのだが、ここ、有名なパラドックス 1)だそうな。

 つまり、

  「クレテ人は嘘つきだ」とクレテ人が言った。

 わけです。
  もし、クレテ人が嘘つきならば、「クレテ人は嘘つきだ」ということも嘘(うそ)で、「クレテ人は正直者」ということになります。
  逆に、クレテ人が正直者ならば、「クレテ人は嘘つきだ」ということも本当であり、

 ・・・あれれ、矛盾(むじゅん)しているぞ

 まあ、もちろん、クレテ人が嘘つきだからと言って、全てが嘘なんではないだろうとも言えるかもしれませんが


          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・しっくりきません




                 





というわけで、年長者の言を聞きに、昔キャベツは行きました。


 ちょうど、(母方の)祖父がテレビか新聞を見ているところでした。
  「じいさま、じいさま 2)」
  「なんだね」
  「ちょっと質問があるんだけど~(かくかくしかじか)~、何が正しいと思う?」
  手に持っていた新聞を下ろして、眼鏡越しにこちらを見て、祖父はこう言いました。


  「そりゃ、嘘つきに決まっているだろ。嘘をつかない奴がこの世の中、いるか? ・・・誰だって罪人(つみびと)なんだよ」 





  ・・・ごもっとも
「嘘をついたことがない」人なんぞ、いるだろうか?(いるわけない:反語)
 誰だって、生きていれば、何かしらうそをつくこともあれば、嘘を言わなくてはいけないことだってあるし・・・・



 
 だが、1回嘘をついたせいで「嘘つき」呼ばわりされたら、「そんなことない」と言いたくなる。
 たかだか1回嘘ついたくらいで「嘘つき」なんて、と。
 それだけ、「嘘つき」という響きが重いわけだし、逆に1回程度の嘘なら・・・という気持ちなのかもしれない。                    


 一方で、1度犯罪を犯してしまったら、「あいつは犯罪人だ」。

 たかだか1度の犯罪で・・・というお方は、・・・いるだろうか?
 多分、1度でも犯罪を犯してしまったら、周りの人の目は「あいつは犯罪人だ」となるだろう。
 やってしまったことは、消えない


 

 だから「嘘つき」と言われても、実際それは本当・・・とも言えるわけです。
 (イヤだけど)



                                             

 (続く

 
【注】
1)パラドックス(paradox):逆説。
              1. 一見すると筋が通っているように思えるにもかかわらず、明らかに矛盾していたり、誤った結論を導いたりするような、言説や思考実験などのこと。             
              2.数学において、公理系に生じた矛盾点のこと。
              3.一般的な直感と反した、数学的に正しい解答や定理のこと。
              4.ある目標を追おうとすればするほどかえって目標から遠ざかったり、ある主義を貫こうとするがゆえにかえってその主義に反する事をしなければならなかったりする状況

2)じいさま:おじいちゃん、じじ~、じじさま・・・どれも、同じ。

 
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吉・凶

2006-07-16 23:59:58 | Sunday 聖書
本日吉報あり。おめでとうございます

 先々週、悲しい知らせもありましたが、こういう良い知らせもあると嬉しいです。



 が、身近で、悲しいことが表面化し始めてきているため、またズド~~ンとキャベツは沈んでいます。
 ですが、こういうことも聖書で言われています。


 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益(えき)としてくださること*を、私たちは知っています。
              
                      (新約聖書・ローマ人への手紙 8:28)

   *異訳では「すべてのことが働いて益となることを」



 つまり無駄にはならない、と。

 
                                                


  またこのようなみことばもあります。

   あなたがたの思い煩(わずら)いを、いっさい神にゆだねなさい。
   神があなたがたのことを心配してくださるからです。
                     (ペテロの手紙Ⅰ 5:7)



 ちなみに、これは、困ったことがあったら、祈れば勝手にすべての事態がすぐ解決すると言っているわけではありません。多分。
 とはいえ、時々いらっしゃいますけどね・・・自分の緊急時だけ神様にすがり、そして「何もしてくれない」と神様を罵倒したり、自分の思いどおりにならないから「やっぱり神なんていない」と言うお人も

 だが、神様がもし「かわいそうだな」と憐れんでくださったら、そして、もしそれが御心にかなう祈りなら、かなえられるかもしれません。もちろん、待たなければならないこともあります。

 さて、全知全能の神様が、私たちを愛して、心配してくださっており、休み無くさまざま行って下さっていることを聖書のさまざまな箇所から教えられます。

 だから、祈ったら、あとは待たなくては。


       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・けっこう、この「待って」いる間というのは苦しいんですがね



以上、ひとりごと!!
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

聖書を読むとき

2006-05-21 19:42:01 | Sunday 聖書
こんにちは。今日は関東晴れ模様でした。数日前まで、小雨が続いていたのでありがたいことです。


  また、keiさん(2度も続けてありがとうございます。聖書で好きなみことばの箇所があるのはいいですね。また、確かに、聖書は知恵の宝です。ちなみに、“知恵”というものに対して、例えば、旧約聖書では、ヨブ記28章や箴言8章などでいろいろと表現されていたり、箴言24章14節 1)とも言われています。新約聖書では、コロサイ人への手紙2:3にこうも言われています。もしよかったら、これからもさらにお読みになってください)、999overさん(暇つぶしでもなんでも)、コメントありがとうございました。


            *******************************



  さて、今日は、ちょうど、1年前くらい前のお話。キャベツの周りであったことです。


  
  そうそうその前に、今、キャベツは2人暮らしです。このブログを見た方の中には、同居人の性別を「女」と思っていらっしゃった方もいるようなのですが、同居人、女性ではありませんので、お間違えなく。で、1年前も2人暮らし。


る日のこと、その同居人が、こんな質問を投げました:
  「聖書に『茶髪』のこと、書いていたっけ?」
  「いや。ないな。そもそも、その時代、『茶髪』なんてないじゃん。タバコだって、ジャガイモ 3)だって」
  「そうだよな~・・・」
  「だからって、聖書に書かれていないからって、なんでもやっていいわけじゃないぞ~」
  「・・・・・・・・」

     なにやら、同居人、考え込んでいます。          




の日のことです。キャベツ発見。

     ・・・・・・同居人の聖書が開いている

   なかなか聖書を読む気配がない同居人だったが、とうとう聖書を何か読むようになったのか~、いいことだ、うんうん。
  しかも、開いている箇所が、伝道者の書 4)12章のあたり。一体、同居人の中に何が起こったのかわからないが、いい傾向じゃないか。12章1節はかなり有名なところだな~。



   


その翌々日。キャベツは発見しました。  

  ・・・・ 「Y!! 頭が茶色になっている!!」

  すると、同居人、
    「キャベツ!! 気付くの遅い!!」
  ・・・どうも、昨日すでに、美容院で染めてもらってきたとのこと。昨日気付くかと思っていたら、気付かないんだもん・・・・などと同居人のたもう。
 「なんで、染めた!?」
 返答なし。


  ・・・その後、同居人はこう言いました。


 「伝道者の書11章に
  『若い男よ。若いうちに楽しめ。若いうちにあなたの心を喜ばせよ。あなたの心のおもぬくまま、あなたの目の望むままに歩め。(伝道者の書11:9)』
  って書いてあるじゃん。だから、俺、やってみた!!」


   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・オイ。


実際には、11章9節にはこう書かれていまっせ。

  若い男よ。若いうちに楽しめ。若い日にあなたの心を喜ばせよ。
  あなたの心のおもむくまま、あなたの目の望むままに歩め。

  しかし、これらすべての事において、
  あなたは神のさばきを受けることを知っておけ。
   
                        (伝道者の書 11:9)  
     
    
   ***************************************




  というわけで、聖書を開くとき、その文脈の前後を無視したり、自分の好きな言葉だけをpick upすると、とんでもない「論」が出来上がります。

                                     

 たとえば、旧約聖書で、ヨブさんという真面目~な、神様を敬う人が出てきます。で、あるとき、不幸続きになります。そのとき、ヨブの奥さんは

 「神をのろって死になさい!」(ヨブ記 2:9)

 なんていう場面があるのですが、・・・これだけを「聖書のことばです」なんて言ったら・・・・な~んか違う、と感じませんか!?


  

   そういうわけで、もし聖書をお読みになるときは、
    前後の文脈を無視しない、
    好きなことば、好きな考えだけを集めない


   っていうことをお勧めします



                                               



   また、こう書かれてもいます。

    それには、何よりも次のことを知っていなければなりません。
    すなわち、
    聖書の預言(よげん)はみな、人の私的解釈を施(ほどこ)してはならない、ということです。

    なぜなら、預言は
    決して人間の意志によってもたらされたのではなく、
    聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったからです。
                      (ペテロ第2 1:20-21)



   
  あなたにも、みことばが届きますように。    
   

【注】
1)箴言24章13節-14節

   わが子よ。蜜(みつ)2)を食べよ。それはおいしい。
   蜂(はち)の巣の蜜はあなたの口に甘い。

   知恵もあなたのたましいにとっては、そうだと知れ。
   それを見つけると、良い終わりがあり、
   あなたの望みは断(た)たれることがない。


2)蜜:もちろん甘くて、栄養価が高いもの。今の時代ほど甘いものが多くない時代だから、貴重だったのでは。ちなみに、箴言25:16、27にも「蜜」は比喩(ひゆ)として用いられている。

3)ジャガイモ:南米アンデス山脈原産。ヨーロッパには16世紀、スペイン人によって運ばれた。日本には1600年ごろ、オランダ船によって、ジャカルタから運ばれた。だから、「ジャガ芋」 最初は食べ物ではなく、観賞用だったんだと。

4)伝道者の書:以前、少し紹介したが、ソロモンの手によって書かれた旧約聖書の一つ。


   12章1節はよく引用されるところでもある。

  あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。
  わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない。」と言う年月(としつき)が近づく前に。

    
 
                                      
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大岡越前よりずっと前の実話(下)

2006-05-07 22:36:46 | Sunday 聖書
かおすさん(なんだか・・・共通項ありますね 丁寧に読んでくださってありがとうございます)、ぴーなつさん(鶴見では会えましたね。あまり時間がなくて、ほとんどお話することができなかったけれど また今度・・・)、naoさん(挙手ありがとう!! )、コメントありがとうございました。


 それにしても、しばらくぶりです。このカテゴリー。お待たせしました。

 ・・・この前は2人の女性が、「死んでいるのがあんたの子供で、生きているのは私の子供よ!!」って言い争っていたんでしたね。しかも、その家には、その女性二人と赤ん坊しかいなかったから、誰も証明してくれる人はおりません。密室殺人というのとはちょいと違いますが、さて、ソロモン王 1)はどんなお裁きをしたんでしょう? 続きの始まり始まり



 そこで王は言った。
 「ひとりは『生きているのが、私の子で、死んでいるのはあなたの子だ。』と言い、また、もうひとりは『いや、死んだのがあなたの子で、生きているのが私の子だ。』と言う。」

 そして、王は、
 「剣(つるぎ)をここに持って来なさい。」
 と命(めい)じた。剣(つるぎ)が持って来られると、

 王は言った。
 「生きている子どもを2つに断(た)ち切り、半分をこちらに、半分をそちらに与(あた)えなさい。」 2)

 すると、生きている子の母親は、自分の子を哀(あわ)れに思って胸が熱くなり、王に申し立てて言った。
 「わが君(きみ)。どうか、その生きている子をあの女にあげてください。決してその子を殺さないでください。」            
 しかし、もうひとりの女は、
 「それを私のものにも、あなたのものにもしないで、断ち切ってください。」
 と言った。

 そこで王は宣告(せんこく)を下して言った。
 「生きている子どもを初めの女に与(あた)えなさい。決してその子を殺してはならない。彼女がその子の母親なのだ。」 3)

 イスラエル人はみな、王が下したさばきを聞いて、王を恐れた。神の知恵が彼のうちにあって、さばきをするのを見たからである。

                      (列王記第一 3:23-28)
 


 これにて、一件落着(らくちゃく)~

                                     

 ちなみに、ソロモン王がほかにどんな裁きをしたのかと、どんなことを言ったのか・・・ということは、旧約聖書の「列王記」や「歴代誌」、「箴言(しんげん)」とか「伝道者の書」、「雅歌(がか)」に記されています。

 そして、『ソロモンの知恵を聞くために、すべての国の人々や、彼の知恵のうわさを効いた国のすべての王たちがやって来た(列王記第一 4:34)』そうな。その中には、有名なシェバの女王 5)もいます。


 とりあえず、今日はこのあたりでおしまい。では、では、また~ 




【注】
1)ソロモン:イスラエル王国三代目の王。

       ・・・紀元前10世紀、ダビデ王から王位と領土を継承したソロモンは、強大な軍事力と、エジプトを始めとする周辺諸国との国際政策とによって王国を統治し、古代イスラエルに最大の繁栄をもたらした。英明な王ソロモンは、さまざまな施策で中央集権化を進め、諸国との交易や朝貢で莫大な富を蓄積し、都エルサレムに壮麗な神殿と王宮を造営した。ソロモンの知恵と栄華は諸国に知れ渡り、人々はその知恵を聞くために拝謁を求めたと伝えられる。

        と誰かがまとめていた

2)食べ物じゃないんですから・・・もちろん、そんなことをしたら、その赤ん坊は死にます。

3)ここで、「もし、二人ともその子どもを譲り合ったりしたらどうなるの?」「もし現代の、子どもを虐待する親とかだったらどうする?」など、いろいろ考えられますが・・・このときは、これが一番はっきりする識別方法だったんでしょう。

 というか、その当時、子どもは「神様からの授(さず)かりもの」。 今の日本では子どもが多いと「恥ずかしい」「大変だ」と思う方々もいますが、当時、「子どもがいっぱいいる」=「恵まれている」「祝福されている」という感覚だったんです。どちらかというと


4)エジプト:当時、文化的にも物質的にも栄えていた国。


5)シェバの女王:シェバは今日のサウジアラビアの中心部の地域に対する名称ですが、前1000年~700年ごろはシェバの権力が最も広く及び、黄金、宝石、香料等の交易によって著しく富んでいたそうです。

 シェバの女王に関しては、たとえば、ヘンデルのオラトリオ「ソロモン」より「シバの女王の入城」 HWV67"Arrival of the Queen of Sheba" from "Solomon"
とか、けっこう絵画のモチーフにもなっていたような気がします。

 参考にコピペhttp://www.h3.dion.ne.jp/~vincent/person/person28.html 




                                
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする