
それを想うとき、いくつかの話が思い出される。これは、そんな話の一つ。
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(今もあるんだよ。)
イスラエルには、とても有名な、ダビデ王という王様がおりました。

さて、あるとき、ダビデ王様の子どもが病気になってしまいました。
王様は、大変悲しみました。
悲しんで、悲しんで、
神様にその子どもが助かるよう心から願って

断食をしたり、
一晩中、頭を地につけて祈りひれ伏していたり
・・・王様の家のおエライ方々が、どうにかこうにか、嘆き、祈り伏している王様を起こそうとしたが無理でしたし、もちろん、彼らと一緒にごはんを食べようとさえしないくらいに・・・、
それは、もう、とにかく大変な悲しみようでした。


王様の家来たちは、困ったぞ、と声をひそひそ相談し始めました。
「王様は、あの子が生きているときでさえ、私たちの言うことなんて耳をかさず、大変な嘆きようだった。
そんな王様に、
いったい、誰が、あの子が亡くなったことを知らせられるだろう

生きているときでさえ、あの様子だったのだから、
死んだとなれば、
なおさら何が起こるかわかったものじゃない。

おい、どうする・・・・・・」


ダビデ王は、子どもが亡くなったことを悟り、家来たちに尋ねました。
「子どもは死んだのか?」
家来たちは、答えました。
「なくなられました・・・

すると、王様は、今まで伏していた地から起き上がり、
身体をさっぱりと洗って、

神様を敬う宮(みや)に入り、神様を礼拝してから

家に帰り、

そんな王様の様子に、家来たちはびっくり。
恐る恐る、尋ねました。
「王様。
いったい、これはどういうことですか

あなたのお子様が、まだ生きているときは断食をして泣かれていたのに、
今、なくなったと知ったら、起きて、お食事を召し上がられるとは・・・」
ふつう、死んだ後、嘆いてごはんがのどを通らなかったりするものなのに、確かに、王様のしていることは逆です。
家来たちには、王様が、どうしてそうするのか、全くわかりませんでした。

そんな家来たちに、ダビデ王はこう言いました。
「子どもがまだ生きている時に私が断食をして泣いたのは、
もしかすると、主(しゅ:神様のこと)が私をあわれみ、子どもが生きるかもしれない、
と思ったからだ。

私はなぜ、断食をしなければならないのか。
あの子をもう一度、呼び戻せるであろうか。
私はあの子のところに行くだろうが、
あの子は私のところには戻ってはこない。

(旧約聖書・サムエル記第二 12章)
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それは、よくわからない。
しかし、神様は憐れみ深い、愛に満ちたお方だ。
悪いようにはなさらないだろう。
むろん、神様は公平な裁き主でもある。
ゆえに罪を犯した者たちを、無罪とすることはできない。
だが、なんとか救うために、
御子(みこ)イエス・キリストを、人の身代わりに十字架につけるということを行い、
それによって、ただ信じるだけで、無罪とされ、天国に入るようにされた。

もしくは、「今頃、先に召された戦友たちと『やぁ

と、思いを馳せ、
地上にまだ残されたもの達は、慰め合う。




【注】
1)エノク、エリヤ:どちらも旧約聖書に登場する人物。エノクは300年のあいだ生きた後、死を経験することなく、エリヤは火の車に乗って天に召されたという。
