昔昔のことです。いや、それほど昔ではないかもしれませんが。昔、キャベツが悩んだことの一つにこんなのがある。
新約聖書の中にこんな箇所があります:
クレテ人の中(うち)なる或(ある)預言者いふ
『クレテ人は常に虚偽(いつはり)をいふ者、
あしき獣、また懶惰(らんだ)の腹(はら)なり』
この證(あかし)は眞(まこと)なり・・・
(テトス 1:12―13)
あとから知ったのだが、ここ、有名なパラドックス 1)だそうな。
つまり、
「クレテ人は嘘つきだ」とクレテ人が言った。
わけです。
もし、クレテ人が嘘つきならば、「クレテ人は嘘つきだ」ということも嘘(うそ)で、「クレテ人は正直者」ということになります。
逆に、クレテ人が正直者ならば、「クレテ人は嘘つきだ」ということも本当であり、
・・・あれれ、矛盾(むじゅん)しているぞ
まあ、もちろん、クレテ人が嘘つきだからと言って、全てが嘘なんではないだろうとも言えるかもしれませんが
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・しっくりきません
というわけで、年長者の言を聞きに、昔キャベツは行きました。
ちょうど、(母方の)祖父がテレビか新聞を見ているところでした。
「じいさま、じいさま 2)」
「なんだね」
「ちょっと質問があるんだけど~(かくかくしかじか)~、何が正しいと思う?」
手に持っていた新聞を下ろして、眼鏡越しにこちらを見て、祖父はこう言いました。
「そりゃ、嘘つきに決まっているだろ。嘘をつかない奴がこの世の中、いるか? ・・・誰だって罪人(つみびと)なんだよ」
・・・ごもっとも。
「嘘をついたことがない」人なんぞ、いるだろうか?(いるわけない:反語)
誰だって、生きていれば、何かしらうそをつくこともあれば、嘘を言わなくてはいけないことだってあるし・・・・
だが、1回嘘をついたせいで「嘘つき」呼ばわりされたら、「そんなことない」と言いたくなる。
たかだか1回嘘ついたくらいで「嘘つき」なんて、と。
それだけ、「嘘つき」という響きが重いわけだし、逆に1回程度の嘘なら・・・という気持ちなのかもしれない。
一方で、1度犯罪を犯してしまったら、「あいつは犯罪人だ」。
たかだか1度の犯罪で・・・というお方は、・・・いるだろうか?
多分、1度でも犯罪を犯してしまったら、周りの人の目は「あいつは犯罪人だ」となるだろう。
やってしまったことは、消えない
だから「嘘つき」と言われても、実際それは本当・・・とも言えるわけです。
(イヤだけど)
(続く)
【注】
1)パラドックス(paradox):逆説。
1. 一見すると筋が通っているように思えるにもかかわらず、明らかに矛盾していたり、誤った結論を導いたりするような、言説や思考実験などのこと。
2.数学において、公理系に生じた矛盾点のこと。
3.一般的な直感と反した、数学的に正しい解答や定理のこと。
4.ある目標を追おうとすればするほどかえって目標から遠ざかったり、ある主義を貫こうとするがゆえにかえってその主義に反する事をしなければならなかったりする状況
2)じいさま:おじいちゃん、じじ~、じじさま・・・どれも、同じ。
新約聖書の中にこんな箇所があります:
クレテ人の中(うち)なる或(ある)預言者いふ
『クレテ人は常に虚偽(いつはり)をいふ者、
あしき獣、また懶惰(らんだ)の腹(はら)なり』
この證(あかし)は眞(まこと)なり・・・
(テトス 1:12―13)
あとから知ったのだが、ここ、有名なパラドックス 1)だそうな。
つまり、
「クレテ人は嘘つきだ」とクレテ人が言った。
わけです。
もし、クレテ人が嘘つきならば、「クレテ人は嘘つきだ」ということも嘘(うそ)で、「クレテ人は正直者」ということになります。
逆に、クレテ人が正直者ならば、「クレテ人は嘘つきだ」ということも本当であり、
・・・あれれ、矛盾(むじゅん)しているぞ
まあ、もちろん、クレテ人が嘘つきだからと言って、全てが嘘なんではないだろうとも言えるかもしれませんが
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・しっくりきません
というわけで、年長者の言を聞きに、昔キャベツは行きました。
ちょうど、(母方の)祖父がテレビか新聞を見ているところでした。
「じいさま、じいさま 2)」
「なんだね」
「ちょっと質問があるんだけど~(かくかくしかじか)~、何が正しいと思う?」
手に持っていた新聞を下ろして、眼鏡越しにこちらを見て、祖父はこう言いました。
「そりゃ、嘘つきに決まっているだろ。嘘をつかない奴がこの世の中、いるか? ・・・誰だって罪人(つみびと)なんだよ」
・・・ごもっとも。
「嘘をついたことがない」人なんぞ、いるだろうか?(いるわけない:反語)
誰だって、生きていれば、何かしらうそをつくこともあれば、嘘を言わなくてはいけないことだってあるし・・・・
だが、1回嘘をついたせいで「嘘つき」呼ばわりされたら、「そんなことない」と言いたくなる。
たかだか1回嘘ついたくらいで「嘘つき」なんて、と。
それだけ、「嘘つき」という響きが重いわけだし、逆に1回程度の嘘なら・・・という気持ちなのかもしれない。
一方で、1度犯罪を犯してしまったら、「あいつは犯罪人だ」。
たかだか1度の犯罪で・・・というお方は、・・・いるだろうか?
多分、1度でも犯罪を犯してしまったら、周りの人の目は「あいつは犯罪人だ」となるだろう。
やってしまったことは、消えない
だから「嘘つき」と言われても、実際それは本当・・・とも言えるわけです。
(イヤだけど)
(続く)
【注】
1)パラドックス(paradox):逆説。
1. 一見すると筋が通っているように思えるにもかかわらず、明らかに矛盾していたり、誤った結論を導いたりするような、言説や思考実験などのこと。
2.数学において、公理系に生じた矛盾点のこと。
3.一般的な直感と反した、数学的に正しい解答や定理のこと。
4.ある目標を追おうとすればするほどかえって目標から遠ざかったり、ある主義を貫こうとするがゆえにかえってその主義に反する事をしなければならなかったりする状況
2)じいさま:おじいちゃん、じじ~、じじさま・・・どれも、同じ。
『相対主義の自己矛盾
相対主義について非常に頻繁に持ち出される批判は、それが自己言及のパラドックスに陥るために、立場として矛盾を含んでいる、あるいは完全ではない、というものである。
相対主義は典型的には「いかなる命題も、絶対に正しいということはない」というような主張を含んでいる。この主張自体を命題と考えることが可能なので、自己言及的な命題を作成すると、次のようになる。「『いかなる命題も、絶対に正しいということはない』という命題も、絶対に正しいということはない」これは命題として自己矛盾に陥っている。
平易に言い換えると、相対主義者はいかなる立場も絶対に正しいということはないことを主張するのだが、そのように主張する相対主義者自身は、果たして絶対に正しいのか、それとも、絶対に正しいということはないのか、という点をめぐる矛盾が発生する。
もしも相対主義者が正しいとしたら、いかなる命題も絶対に正しいということはないはずなのだが、それならば、「いかなる命題も絶対に正しいことはない」という命題も絶対に正しいということはないはずで、すなわち相対主義者の基本的な主張は間違っていることになる。
このように、自己言及が自己矛盾をもたらすために、相対主義は哲学的な立場としては維持不可能なものである、と批判されることになる。』
自己言及のパラドックスより
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E8%A8%80%E5%8F%8A%E3%81%AE%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9