塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

サッカーはわかりにくい存在なのか

2013-09-29 00:43:33 | 日記
 今日本テレビ「Going」でJリーグの試合結果をみましたが、放映時間はおよそ2分くらいで、大半の試合結果は字幕
という形でした。

 今週は楽天イーグルスのパ・リーグ優勝という各局にとって一番大きなバリューがあったことも確かです。

 一方大東チェアマンが2ステージにプレイオフを採用した背景には

 「Jリーグの露出度低下」

 を挙げていますが、プロ野球は基本全試合の映像が流れる一方で、Jは成績の字幕だけでおしまいというのは、確かに露出
低下と言えるでしょう。

 (大相撲も冒頭から企画されることは稀ですが。)

 これは試合自体に魅力が無いのか、それとも時間割の問題なのか、視聴者の関心の少なさか、理由は幾つもあるのでしょう
が恐らく全てなのでしょう。

 ダイジェストは試合の趨勢を反映していませんから、90分通じて初めて価値がわかるとすれば、むしろ現状でも構わない、
映像の細切れには関心が無いという方もいるでしょう。

 その一方で

 「にわか、ライト層」

 と呼ばれる方々が見られないという側面もあります。

 ではどうしてJリーグの露出は少ないのか。

 それはわかりにくいからでしょうね。

 僕は20年近くサッカーの情報を得ていますが、通常のリーグ戦と代表戦はともかく、どうしてその間にカップ戦を戦い、
シーズン終盤にも天皇杯というカップ戦を戦うのか、疑問に思ったことはありません。

 それは僕の入り口が海外サッカーで

 「サッカーはこういうものなんだ」

 と無意識のうちに感じ取っていたのでしょう。

 しかし野球、バスケット、F1のような他の競技愛好家からすれば、基本はリーグ戦でありその延長上にプレイオフがある
事は理解できても、カップ戦の存在意義やここまで試合数が多いことは、理解不能なのでしょう。

 傍から見れば

 「試合数が多くて選手は疲れている」

 と嘆くのであれば、試合数を減らしたらよいと考えるのは当然ですから。
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同胞という強い存在。その反面

2013-09-29 00:32:59 | 日記
 僕が初めて会社勤めをした際、同じ職場には3名の同期入社がいて心強く思ったものです。

 4名がお互いに支えあいながら長野駅前でビラ配りもしましたし、新入社員研修に参加したわけですが、今ではもうお互いの
顔を見てもわからないでしょう。

 (僕が初めて勤務すした会社は新規開店の料理屋だったため、ビラ配りを店長と共に行いました。)

 他の店舗でも顕著でしたが、余りに劇的に生活が変化したために戸惑う事はおおかったですし、僕も入社前には電車通勤を希
望して了解を得たはずなのに、いきなり

 「明日から車で来てくれ。駐車場はここだ。」

 と言われ、購入したばかりの定期券を見て呆然としたものです。

 サッカーでも母国から海外に行けば、自分の周囲では当然と思えた出来事が、彼の国ではそうではないと痛感する場面も多い
でしょう。

 そこで頼りになるのが同胞の存在です。

 スロベニア代表のふたり、ノバコビッチとズラタンがアルディージャの主力となり得たのは、彼らの実力だけでなく当時の指
揮官がベルデニックという同胞であったこともそうでしょうし、お互いを励ましあったこともあるはずです。

 ブラジル出身選手は日本リーグ時代から常に欠かせない存在ですね。

 でも彼らの道を嫌開いたのも、セルジオ越後、ラモス瑠偉といったブラジルからやってきた選手たちが、確かな足跡を刻んだ
からですね。

 日本人選手が海外にいくと、生活習慣を含む言語の問題からどうしてもかたまりがちと指摘されます。

 金崎夢生はポルトガルに移籍して清武が残留したのも、前者が途中入団という形だったせよ、やはりドイツ語の習得が思うよ
うにいかなかった為です。

 ちなみにこれは大久保嘉人にも言える事で、ウォルクスブルク時代は長谷部誠が指示を日本語に訳していたと聞いています。

 同期入団、同胞は確かに頼りになります。

 でもそこで必要以上に甘えない事も、お互いのマナーと言えますね。
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ジュビロ、遂に降格の危機へ

2013-09-28 22:54:00 | 日記
 Jリーグ・サッカーキングは残留に向けて喘ぐジュビロ磐田を巻頭から特集しました。

 通常専門誌というのは優勝争いに絡むクラブ、代表選手を記事の目玉にしますから、このサックス・ブルーの選手たちが
置かれた立場というのは、ファンからの声だけでなく記者から見ても特異なのでしょう。

 僕は立ち読みしただけですが、中山、名波両OBの登場だけでなく、主将の山田が対談に登場するなど昔からのファンも
楽しめると思います。

 昨年のガンバもそうでしたが

 「序盤戦でのつまずき」

 を回避できず、その勢いが削がれたことが、今も厳しいですね。

 大分トリニータが監督を更迭せず、田坂体制で行っていることに対し、ジュビロは関塚体制に移行し、アルディージャで
構想外だったカルリーニョス、フィテッセから安田を獲得します。

 つまり関塚監督の構想を実現すべく補強を行い、3-3-2-2から4-2-3-1へ戦術変更したわけですが、思うよう
に勝ち点3を重ねられませんでした。

 これがスペイン、イタリアになると

 「残留請負人」

 というような、特別な指揮官がいたりするものです。

 イタリアではグイドリンがそうですし、今フロンターレにいる大久保がマジョルカ在籍時の2003シーズン、劇的な残留
に一役買ったこともありましたが、まだJには

 「選手と監督の特色」

 が曖昧なのかもしれません。

 ジュビロが降格となれば、昨年のガンバ同様に優勝経験を持つクラブが、J1にさようならを告げます。

 「N-BOX]

 という稀有な戦術を遂行し、あわよくばレアル・マドリードと戦える権利を得ていたころの彼らを知っているファンは、現状
をどう捉えているのでしょうか。
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サッカーで見られる出し抜くことの顕著さ

2013-09-28 22:42:30 | 日記
 インザギの動きが育成で伝えることが出来ない、つまり嗅覚というもの、ボールがどちらに跳ね返り、ここに構えていれば
リバウンド・ボールは自分が押し込めばいい。

 この感覚はアタランタ、ユヴェントス、ミランと移籍するごとに出場数と言う名の

 「経験値」

 共に増してゆきます。

 相手を出しぬくことは、言い換えれば機先を制することでもあり、優れた個人の特徴という見方もできますし、前回の例で
用いたプリンであれば

 「今度はお前が出し抜いてみなさい」

 と言うこともできます。

 つまり、相手に食べる意思を見せない工夫をしながら、貪欲になれというわけです。

 仕事でもそうで、今は多くの学生が毎日複数の企業を掛け持ちで訪問し、面接を浮けるまさに厳しい、大変疲弊する時代に
なりました。

 機先を制するのであれば、

 「黒のスーツではなく紺かチャコールグレーを選ぶ」
 「シャツを純白ではなく、空色や淡いストライプにする」

 という服装で戦略を練ることも考えられます。

 また面接で話す内容も、マニュアルは手本にして良いと思います。

 そこから逸脱したような内容を時に話ても大丈夫ではないでしょうか?

 多くの方が

 「面接で落ちるのならまだしも、服装で落選は勘弁」

 と思う気持ちもわかりますが。

 相手を出しぬく、競争することは案外実社会で起こりえることで、特にサッカーのように自己主張をしないと生き残れない
世界ではそうですね。

 欧州では日本のように
 
 「相手の心情を顧みない」

 とサッカー批評45号で加部究氏が指摘しており、日本も今後はそうなる気がします。
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相手を出しぬくという動き

2013-09-28 00:21:22 | 日記
 我が家では3個セットのプリン、ヨーグルトを買います。

 奇数ですから子供がふたりいれば取り合いになる形で、僕と弟は随分喧嘩したものです。

 つまり

 「2対1ではふつりあいだ。だから3個目は半分に」

 というわけです。 

 父と母も同意見でそれが教育上ふさわしいと捉えたわけです。

 しかしサッカーで相手を出しぬくことがとても大切であり、またひつようでもあります。
 が
 PKを時にさそう動作がそうすし、イタリア代表としても有名だったインザギのように、駆け引きに長けたFWがいれば味方
は随分楽ができました。

 インザギの出し抜く存在は、おしえる、伝えるという形では生まれない稀有なものでした。
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