塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

マセラティの発火事故という一報を聞いて

2018-04-10 17:53:48 | 日記
 イタリアにはランボルギーニ、マセラティ、そしてフェラーリと皆が憧れる車ブランドがいくつもあります。

 彼らの共通点は世界中にファンがおり、価格も大変高価というだけでなく

 「過去にエンジンルームから出火する事例」

 が数多く申告されている点にもあります。

 先ほど、世田谷区でマセラティの所有者が違和感を覚えエンジンルームを開けると、出火したという報道をみましたが、何故イタリア社は人工知能やフィンテックが発達した今でも

 「火災の起こりかねない車」

 を製造、販売するのでしょうか。

 日本車は個性がないし、家族で一台という関係上、デザインもありきたりと批判を受けます。

 一方でタカタや三菱、スバルの問題もありましたが、

 「故障しない事、安全性に秀でていること」
 「燃費が良く、プリウスやロードスターのような歴史的価値を持つ車もある」

 点を忘れてはいけません。

 欧州の人間は、車も直せばよいといますが、他の道具や衣類とは異なり、車やバイクは

 「人の命を預かっている」
 「走っている最中に異常が発見されては遅い」

 のは言うまでもありません。

 だからこそ、人間と同じように手をかけろという意味かもしれませんが、それも限度があるでしょうよ。

 僕は米国人に

 「腹筋マシーンを次から次から製造する脳天気は国だね」

 と皮肉の一言も言いたくなりますが、イタリア人には

 「発火する安全性から程遠い車を作らせたら世界一だな、セリエAとアズーリも見習えよ」

 と言ってみたいものです。

 まさかこのようなあぶなかっしい事例があまりに多く、人命に関係することが改善されないために、ロットやカッパ、ディアドラのシェアが一機に縮小した、と思うのはさすがに思いすぎでしょうか。
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