塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

憎らしいほど強かった90年代のACミラン

2009-09-29 23:17:46 | 日記
 「ターンオーバー」という概念は、90年代前半のミランが生み出したものです。現イタリア首相のベルルスコーニ氏が、ミランのオーナーであることは有名ですが、彼の大号令のもと、国内リーグの優勝と当時まだチャンピオンズカップと呼ばれた、今のチャンピオンズリーグを手中におさめるため、カップ戦のための11人と、セリエA用の11人と区分けし、選手の体力と集中力を温存しようとしたのです。
 今も過密日程は大きな問題ですが、当時のミランはゾーンプレスという、更に体力と集中力を必要とする戦術を取り入れてました。指揮官はサッキからカペッロに変り、戦術の縛りは幾らか緩やかになってはいましたが、このターンオーバーの導入で、問題の解決をはかろうとしたのです。
 しかし選手達の評判は今ひとつだったようです。どんなに疲労がたまっていても、選手達が最も輝く場所は、当然芝の上になります。ですから休んでいては、自分の存在価値を示す事ができなません。
 当然ですが、カペッロは国内仕様と欧州仕様で選手11人を、まるまる変えていたわけではありません。必要不可欠な選手は、国内、欧州関係なく起用され、大きな成果をあげていきます。もちろんその影で、満足に出場機会を与えられない選手もいるわけです。
 例えば1993年のトヨタカップのため、ミランは来日していますが、先発FWはルーマニア代表のラドチョウと、フランス代表のパパンでしたが、彼らがミランで活躍した姿を思い出せる方は、相当のミランフリークではないでしょうか?(他のFWはサビチェビッチにマルコ・シモーネ、マッサーロ)
 僕が思うにターンオーバーは、より選手間の格差を広げてしまったように思います。指揮官がどんなに知恵を働かせても、ピッチに送り出せる選手は14人と数が決まっています。
 出場機会に恵まれている選手は、試合勘も鈍らずコンディションを整える事が容易です。しかし恵まれない選手は、いつくるかわからないその瞬間の為に、全精力を費やさねばなりません。
 これは心身ともにはかりしれない疲労を覚えて当然です。ですからこうした選手は、じぶんが移籍するか、もしくは監督交代を我慢するしかありません。ミランの場合は控えの選手が去っていくことで、チームのまとまりが守られた形になります。
 とはいえ、この分厚い選手層がミランの勝利のサイクルに貢献したことは事実です。ですが90年も半ばになると、ミランは危機的状況を迎えます。それは90年代前半の栄光を知る者にとっては、考えられないほどの凋落でした。
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