塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

選手がクリニックをする理由を探る

2017-06-12 18:05:56 | 日記
 僕は幼いころ、ご近所の方に大きな声であいさつをすることで評判でした。

 両親は喜んでくれたと思いますが、それは世間体だとか対面だとか、自分の子供が勉強を怠けていないというような、ある種の自尊心が満たされていたと感じます。

 ただ現在の僕はある種の袋小路にいるようなもので、独身、恋人無し、当然父親になる可能性は皆無、仕事でも信頼されているのかどうかわからない、という塩梅で、夜寝がえりを打つことが多いのですが。

 今日、両親とタケノコとりに出かけ、その帰り際、千曲川にかかる万葉橋を車で横断している際、母親が

 「あんたが千曲川で、ニジマスのつかみ取りをしたの、いつだっけ」
 「もうキミ(弟)もつれていったよね」

 と話しかけてきました。

 その時の僕は、きっとでかい声で

 「お母さん!!捕まえた!捕まえた!」

 と無邪気に叫んでいたのでしょう。

 当時はおおらか、言い換えれば誰の言うことも尊重する、ナイーブな人間でしたが、今では完全に「すれて」おり、どこか斜に構えていますが、そうでもしないと詐欺や犯罪に引っかかるリスクも高くなります。

 選手がオフシーズン、休養ではなくてクリニックを行うのも、シーズン中の批判や疲れをとるよりも

 「幼少時、夢中でボールを追いかけていた自分」

 を思い出したいためではないでしょうか。

 戦術のしがらみがない
 自分を批判する弾幕や記事など存在しない
 ボールは本当に友達のようだった

 そんな自分と再会するための場所、それがクリニックの場所、ではないかと僕は勝手に想像します。

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