塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

外国語を学ぶという欲

2015-02-28 01:35:08 | 日記
 僕は野心はありませんが、「欲」はあります。

 一昨日の事ですが、旦那様と奥様、そして娘さんという形で来店のお客様がスーツをお求めになりました。

 「恐らく南米からいらしたのだな」

 と考えた僕は、時折イタリア語とスペイン語を織り交ぜながら応対をしましたが、実はネパール出身の方でした。

 東南アジアと南米の方は背格好、風貌が似ているのでしょうか、はやとちりをしてしまい、申し訳ない事をしたなあと思いますが、同時に話しかけてみてよかったとも思いました。

 僕の言う欲というのは

 「自分が学習している成果を確認したい」
 「もし海外の方が日本で母語を聞いたら、嬉しくなるのではなかろうか」

 と言う考えによるものです。

 実際

 「君は日本人なのにポルトガル語がわかるのか、凄いな」

 とブラジルの方から褒められた事がありますが、僕はイタリア語を勉強しているので内心は少し複雑でしたが。

 カズがジェノア移籍当初はポルトガル語で話しかけ、しばらくしたらイタリア語を用いたという話を聞いた事があります。

 それだけ南欧の言葉は親戚関係にあり、キャプテン翼でも翼がファン・ディアスとパスカルにポルトガル語でロベルト本郷を訪ねる場面が出てきますよね。

 スマートフォンに代表される多機能技術が今後も発達します。

 でも、機械に頼らず自分の言葉を用いることは、サッカーに限らず海外でも国内でも凄く大切だと思います。

 フォルランが来日したその日に

 「おおきに!!」

 と大阪弁を用いた時、「やるねえ!」と感じたのは、僕だけでは無いはずです。
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