塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

否定しないことで生まれる強さ

2013-12-29 23:26:37 | 日記
 理解を産む周囲の言葉

 高校生でサッカー強豪校に進学したいと思う時、難しいのがその学校が遠方にある場合です。

 長友祐都のように、思い切って引っ越すという案もありますが、通常の場合は自宅から長時間かけて通う形になりますね。

 当然親御さんとしては

 1・遅くなる帰宅と早まる家を出る時間
 2・強豪校はそれだけサッカーを志す生徒が多く、試合で使って貰える保障は全くない
 3・週末も試合が続けば、体を休める時間が無い

 そして何より馬鹿にならない交通費の負担だけでなく、当然用具だって自分で揃えなくてはならず、遠くの強豪校よりも
地元の学校という案に変えて欲しいと思うでしょう。

 入学前、どんなに熱意を持っても

 「やっぱり駄目だ」

 という形では意味がありません。

 仮にサッカーを止めたとしても、高校そのものを変えることは出来ませんから、結局い交通費を3年の間支払う義務が
生まれます。

 親御さんとしてはため息を付きたくなることも多いと思います。

 そこを我慢して、否定的な言葉を一切口にしないことで、お子さんは随分救われるでしょうし、何よりお子さん自身が
マイナスの考えを持たなくなります。

 人間はどんなに意思が強くとも、周囲から

 「止めちまいな」
 「あの時、もっと慎重になればよかったね」

 という、否定的な言葉をかけられ続けると、自分の判断に迷いが生じるものです。

 ですから、お子さんが通学時間を有意義に使い、懸命に汗を流しているならば、3年間付き合ってあげて欲しい、そんな
気持ちが僕にはあります。

 実際は難しい面が多いのでしょうが。
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