塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

日本にマリーシアが無い理由

2012-12-19 23:07:21 | 日記
 サッカーに限らず日本社会でマリーシア、ここでは

 「人を出し抜くこと」

 と便宜的に捉えますが、浸透していないのはそれだけ学校教育が隅々まで普及しているのと同時に、武道の
存在も大きいと思います。

 武道を嗜む方たちは、自己鍛錬と自己防衛の為に習い始めた反面、礼儀や相手に対する敬意の払方と言う、
教育面にも魅力を感じているはずです。

 華道や茶道も同様ですね。

 ですから、一般社会ででも創意工夫で仕事をするよりも、皆と歩調を合わせて的確に仕事をする方が評価が
高いには当然と言えます。

 自分だけ出し抜くようであれば、それは称賛されるよりもむしろ嫉妬や陰口という形で跳ね返ってくるかも
しれません。

 ブラジルではサッカーはお金の不安から解放してくれる、唯一無二の存在です。

 親も子供にサッカーをさせたいと思いますし、幸か不幸か子供たちは学校で教師から叱られることも少ない
と聞きました。

 勿論学校に行っている子供たちは大勢いますが、中には意図的に学校に行かずサッカーに明け暮れている子
も多い為です。

 また学校に通っていても、

 「いかに授業中でもボールと触れ合えるか」

 を目論んでいますから、それもある意味マリーシアを向上させる要因になっているのでしょう。

 宿題を忘れる、授業に集中できなければ当然教師は叱りますが、子供たちはやはりサッカーで一番になりたい
と思うのです。

 僕などは多少サッカーが下手でも、お腹いっぱいご飯を口に出来て本が読めた方が良いと思いますが、この時
点で既に

 「マリーシアの欠如」

 をブラジル人から指摘されるのでしょう。
 
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