塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

安室奈美恵さんに観る達観の心境

2018-09-17 16:04:26 | 日記
 安室奈美恵さんはどうしてここまで「達観」できたのでしょうか。

 僕は安室さんのシングルCDを過去に1枚購入したことがある程度しかなく、彼女の唄う姿を傍観していた立場です。

 沖縄開催のラスト・コンサートに集う方々を見て、

 「ああ、こんなことならば僕も熱心に曲を聴いておくべきだったな」

 と思うくらいですから、熱心なファンほど引退の日なんて永久に来なくていいのにと感じたでしょうね。

 僕が安室さんの引退決断を聞いて感じたことは「勿体ないなあ」ということで、歌唱力や踊る力が衰えているようには見えませんし、北米や欧州でもコンサートが開催できるだけの歌手だと思っていいたためです。

 でも彼女は歌手として姿を現すことは無いと断言しましたし、小室哲哉氏から独立した際も「達観」していた印象を持ちます。

 山口百恵さんもそうですが

 「もう一度演じたい」
 「もう一度ファンの歓声を感じたい」

 と思わない、その胸の内はどんなものでしょうか。

 といいますのも、サッカー選手が引退した際、解説者、コーチングスタッフなどサッカーに関係のある職につける人物もいれば、本当に足を洗う方もいます。

 一方で何か思うことがあるのでしょう、現役復帰を果たしてもう一度戦う決意を見せる選手もいます。

 安室さんのように揺るがない決心の下、生きていくことは僕には到底できませんし、何より潔くもなければ達観したことさえありませんからね。

 周囲がどうして?と思う決断でも、本人からすれば当然の帰結であることならば、その考えは当然尊重されるべきです。

 いつかくるレオ・メッシとロナウドの引退に、サッカー好きは心を備えておくべきでしょうか。
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