塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

サッカー監督は希望を配ることが出来るのか。

2013-12-27 18:57:02 | 日記
サッカー監督という存在、その意識

 今どこの書店でも大プッシュしている本があります。

 それは文響社から出版されている「人生はニャンとかなる」で、僕の場合ですと発売から2か月で5刷という、非常に早い
段階から増刷に踏み切っています。

 ネコが好きでなくとも楽しめるのは、猫と共に様々な偉人の格言が提供されているためで、ネコ版はイヌ版に続いての発売
となり、シリーズ累計で71万部を突破と帯に記されています。

 イヌ版の題名である

 「人生はワンチャンス」

 を眺めますと、日本代表での生き残り、J2とJFLの入れ替え戦、合同トライアウトなど選手たちが新しい戦いに挑む際
の心情が、このワンチャンスに凝縮されていると感じます。

 さて、この書籍の中に、ナポレオン・ボナパルトの言葉が紹介されています。

 その言葉とは

 「リーダーとは希望を配る人のことだ。」

 という物で、サッカーでは解雇される監督は希望をファンと選手に与えていない形になるのでしょうか。

 サッカーた短期で結果が出ますが、NFLのように16試合にプレイオフという、もっとリーグの興行そのものが少ない競技
もあります。

 しかしNFLで大学フットボールで名声を得た人物がコーチに就任する、他チームの戦術をすぐさま真似るという形が顕著
なのは、NFLには降格が無い為です。

 2008年、デトロイト・ライオンズは0勝16敗という近年の米国スポーツで初めて

 「勝率000」

 を記録しました。

 でもドラフトは下位から指名していくわけですから、むしろ戦力強化の機会はサッカーよりも恵まれている面があります。

 サッカーは選手の獲得が完全な自由競争の上、降格がつきまとう短期決戦です。

 監督は希望を配らない限り解雇と背合わせなのですが、勝利という希望を配っても、そこに退屈が加わった瞬間、やはり解雇
になるのですが。
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