塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

基準が異なるのは当たり前だが

2010-10-23 21:00:49 | 日記
 僕自身自分の長所として

 「僕のスタンダードが必ずしも他人のスタンダードとは一致しない」
 ことを理解している点が挙げられます。

 確かに僕はサッカーが好きです。

 でもファンでない人に向かって
 「ワールドカップにもチャンピオンズ・リーグにも関心が無いなんて、あなた人生
 損していますね。」

 などと言うつもりはありません。

 ですので僕が業務中に他の部署の上司や同僚に声を掛けられた時は、できるだけ
朗らかに答えるよう務めています。説明だって丁寧にしますし、仕事を強要する事
など一切しません。

 僕は部署移動をしました。

 その部署で以前から働いている人間にとってスタンダードなこと。

 それは
 今の僕にとってスタンダードでは無い。

 同様に
 他の人間にスタンダードなことが
 
 僕にとってスタンダードだとは限らない。
 と言う事もいえます。

 サッカーの世界を知る人間は、その当たり前の光景を日々目撃しています。

 スペインの華麗なパスサッカーをイタリアは賞賛するけれども、自分たちの長所は
硬い守備にあると信じていますし、韓国がフィジカル・コンタクトに強いことを認め
ても、日本は中盤の構成力に活路を見出している。

 スタンダード、基準がその国その人物によって異なる事は当然ですが、ある場所と
ある場面ではその基準が覆ってしまうのかもしれません。

 ですので今の現場に慣れるまで辛抱しようと思います。

 そして僕が今持ちえていないその基準を、見つめてみようと思います。
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