塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

自主性を育てるには何が必要だろうか

2017-02-08 14:27:27 | 日記
 昨年行われた健康診断で、瞳孔の検査を受けるよう指摘があり、病院を予約しました。

 今日、これからが診察なのですが、当初は千曲の眼科まで車で出向こうを思っていたのです。

 すると母が

 「篠ノ井に評判の良い眼科医がいるよ」
 「あそこの病院、どこか先生たちが冷たい印象だと、通ったかたから耳にした」

 というので、篠ノ井まで出向くのですが。

 父は金(電車賃も含めて)がかかる、もし通うことになれば面倒だ、当初は千曲の病院を考えていたんだろ、どうしてそうしない、もっと自主性を持てよと詰ってきたのですが。

 僕はそれを聞きながら

 「いわれの無い批判というのはこのことではなかろうか」
 「こうして意味のない叱責があるからこそ、自主性が育たないのさ」

 と考えたものです。

 確かに母の意見を参考にしたのは事実ですが、病院代も交通費も僕が代金を払いますし、実際予約の電話に出たくださった看護師の方は、本当に暖かいかたでしたよ。

 確かに評判ある、ないは存在するでしょうが、日本人はサッカーでも野球でも

 「教えすぎ、子供たちを批判すぎ」
 「親がしゃしゃりでて子供に負担を与え、コーチの存在を蔑ろにする」

 と指摘されます。

 単純明快に「やってみな、それでだめなら別の方法を考えてみろ」という方が、自主性は育ちやすいのではないでしょうか。

 サッカーでも練習のし過ぎで休養を取らないことに弊害はあるでしょう。

 ただ、眼に関して「本の読みすぎ」「パソコンのやりすぎ」に意見を求めるのは、短絡的だとも思います。
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