塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

横尾忠則の作品集を買って

2022-04-18 19:16:45 | 日記
 僕は先日、国会図書館から2017年刊行の「横尾忠則全版画」という作品集を購入し、毎日数ページずつ捲っています。

 千曲市から車で南に30から40分の位置にある上田市。

 多くの方が2016年のNHK大河ドラマ「真田丸」を連想すると思いますが、上田市には(僕は来場経験はないのですが)サントミューゼという呼ばれる美術館があり、クラシックの演奏、現在はチェコの画家アルフォンス・ミュシャの展示会が行わています。

 このように、図鑑や美術書を眺めていますと、自然の流れで美術館や生演奏に関心を抱くようになります。

 ワールドカップガイドを読めば、より本大会と出場選手に精通するようになることと同じですね。

 横尾作品に限らず、日本の芸術家の資料を買うことは今回が初めてですが、小松美羽の作品集はページをめくったことだけあります。

 一方で草間彌生作品集も近所で2冊売られていることがわかり、今関心を抱いていますし、その書店では今高値の「キース・へリング」が新刊(もちろん定価)で2冊、別の横尾忠則画集が1冊売られて理いるので、なんとかできればと思っています。

 ちなみに飛鳥新社がモーツアルトの作品集全3巻、税抜き価格一冊25000円で過去販売しており、まだ流通しているようなのでこれらも意識しています。

 何が言いたいのかと言いますと、サッカーも芸術も「日本と世界」である種の「区別」がついている、しかしそれは意味をなさなくなっているのではないか、という事です。

 日本代表の選手たちが続々と海外に進出し、Jリーグも近年様々な国から選手が移籍しています。

 Ⅴファーレン長崎在籍のファンマのように、ワールドカップ優勝国スペインの選手が来日するなどかつては考えれませんでしたし、ブラジルからは常に選手が来日します。

 それは彼らが

 「時刻のサッカーも良い、そして日本も良い」 
 「日本で暮らす価値がある」

 と思うためですよね。

 既に「国」という概念、国境はサッカーも芸術も曖昧であることに違いはないと思うのですよ。
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