塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

サッカーを通じで育む親子関係

2012-12-25 02:06:43 | 日記
 「(中略)若い僕には夢がある いつかきっと いつかきっとわかってくれるだろう」

 うろ覚えで申し訳ないのですが、故坂本九氏の代表曲のひとつである「明日があるさ」の歌詞を冒頭に記した
理由は、サッカー好きの男なら誰もが思うことだと思ったためです。

 「もし僕に男の子が生まれたら、一緒にサッカーを観に行こう」
 「もし僕の娘がなでしこリーグを目指すなら、それはどんなに素敵な出来事だろう」
 「お父さん、一緒にボールを蹴ろうよ息子が誘ってくれるなら、どんなに嬉しいことだろう」

 そして、僕がサッカーに夢中な理由を、君はいつかわかってくれるだろう。

 世のサッカーファンたちは、誰からも見えることのない自分の胸の中で、たゆまぬ愛情とまなざしをサッカー
に注いでいるはずですから。

 僕は南長野運動公園でひとりポツンとシートを広げて試合を観ていますが、周囲はやはり親子連れが多いです
ね。

 「手洗いは大丈夫か」
 「席を立たないの!」
 「集中して試合を見ろ!」

 など、子供たちを親御さんが叱る光景は否応なく目に飛び込んできますが、それはサッカーを題材にした日常
でのしつけなんですね。

 僕もそんなやり取りを見ながら、脇に空いた空間を見て

 「いつか僕も自分の息子が出来て、一緒の席に腰かけるのだろうか」
 「お父さん、お腹減ったよと言われ、お金使っちゃうなあと思いながら、売店に出かけるのだろうか」

 などと想像し、吹き出しそうになる反面、痛烈に孤独も感じます。

 「36にもなってまだ独身か!」

 と痛罵されることもしばしばですが、そんな両親も僕が生まれた時は嬉しかったのだろうかとも思います。

 至らない息子で本当に申し訳ないと思う反面、子供の手を引く両親が安心して観戦できるよう、パルセイロに
限らず関係者皆で協力していきたいものです。
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