塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

日本代表新監督はイタリアから舞い降りる(2)

2010-08-31 13:04:02 | 日記
 もしかするとペケルマン、マンサーノそしてヘルナンデスも、新聞各紙が名前を挙げた監督たちはザッケローニとの交渉が頓挫しない為の

 「煙幕」
 の役割を果たしていたのかもしれません。

 原氏がスペインで交渉にあたっていた事も事実でしょうし、ペケルマンと大筋での合意に達してはいたのだろうと思います。

 でも何かしらお互いが歩み寄れない箇所があり、納得のいく形で歩み寄れたのが、ザッケローニだったのだろうと今僕は考えています。

 ザックはスキャンダルに縁の無い指揮官で有名ですが、以外に「頑固者」です。

 彼が頭角を現したウディネーゼ時代の布陣は3-4-3

 そして引き抜かれたミランでも当初は3-4-3を用いましたが、どうもうまくいかない。
 ザックはミラン就任に対して、古巣からCFのオリバー・ビアホフを引き抜き、それまでのエースだったジョルジュ・ウエアを左翼に回したんですね。

 ウディネーゼ時代は両翼からのクロスを、ビアホフが頭で決めるという攻撃が徹底されていたので、ザックはミランでもその成功例を踏襲したかったのです。

 ザックは軌道修正し布陣を3-4-1-2に変更、ビアホフとウエアの2トップを、MFのボバンが支える形が功を奏し、就任初年度の98-99シーズン、ミランはスクデットを獲得します。

 相手はペルージャ。そう中田英寿もこの年がセリエA移籍初年度でした。

 でもザックは
 「妥協の産物」
 であった3-4-1-2ではなく、3-4-3で戦いたい。

 しかしそうするとウエアは左翼に回るしかない。

 関係が悪化した二人でしたが、ミラン首脳陣はウエアをチェルシーに売却することでこの問題を解決しました。

 ザックが「頑固」と書いたのは、彼が信念を曲げてまで名声を得ようとはしない姿の持ち主だからです。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 日本代表新監督はイタリアか... | トップ | ジエゴとイブラヒモビッチの移籍 »

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事