塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

名将の条件(2)

2011-03-18 01:52:05 | 日記
 僕はファン・ハールやサッキのように、戦術を拠り所にしている指揮官は、恐らく
戦術の呑み込みがおぼつかない選手を

 「自分の説明方法に落ち度は無い。問題は彼らの脳みそにある。」

 そう考えているのではないかと思うのです。

 でも僕の場合はそうでなくて、例えば同僚や他の部署の人間に仕事の説明をした際、相手
が怪訝そうな表情を浮かべると

 「僕の説明の仕方に、何か不備があったのではないか?」

 と思うんです。

 ですので話す時はゆっくりと説明し、言葉が足りない時はその場所まで案内し、棚や
机を叩いたり引き出しを開けるなど、相手の印象に残る行動を残す時もあります。

 よくヴェンゲルやファーガソンのような長期政権を築いている監督を

 「奇跡」

 と呼ぶ方がいますが、両者は共に選手に非を押し付けないことを、自身のコーチング
の源に置いていると僕は考えます。

 勿論ライアン・ギグスやセスク・ファブレガスなど、手持ちの駒の中心選手が真のプロ
としての資質を備えている利点があるとしても、すぐに激高するような指揮官では、選手
はついてこないでしょうし、何より会長やGMとの折り合いまで悪くなってしまいます。

 勿論監督として生きてゆくなら、

 「新たな戦術を残して歴史に名を刻む」
 「優勝という美酒を味わいたい」
 「代表監督としてワールドカップに出場したい」

 など様々な欲が生まれるのは当然です。

 でも一旦試合が始まれば、ボールを蹴るのは選手たちで監督ではありません。

 だからこそ選手をけなすことなく、自分の言葉を植え付けることができる監督が、これ
からの時代の潮流になるような気がします。
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