塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

ジェラードがリーグ優勝を味わう日は来るのか

2013-04-22 23:27:38 | 日記
 大リーグ屈指の名門として知られるニューヨーク・ヤンキース。

 そんな彼らも1980年代から90年代半ばまで、ワールドシリーズ優勝はおろか進出すらできず、球団史上類を見ない
低迷期に苛まれていました。

 その時期にキャプテンとして支えたのがドン・マティングリーと言う選手ですが、彼は結局ワールドシリーズ優勝を見な
いまま引退します。

 ヤンキースが1996年からワールドシリーズ3連覇を果たした際

 「マティングリーにもこの勝利を味わって欲しかった。」

 と思う関係者とファンは多かったと思います。

 リバプール・ファンも偉大なる主将、スティーブン・ジェラードの故障離脱、そして孤軍奮闘の姿を見るたびに、胸が痛
んでいるのではないでしょうか?

 ルイス・スアレスも語っていますが、イングランド代表で市場6人目となる100キャップを達成した彼が、いまだかつ
てプレミアを制覇したことが無いというのは、本当に矛盾した出来事です。

 チャンピオンズ・リーグとUEFAカップ「
 リーグカップとFAカップ

 ジェラードが無冠でないことは確かで、クラブ・ワールドカップでサンパウロに敗れたことは確かに残念でしょうが、プレ
ミアの覇権と比較すればその痛みが

 「微々たる代物」

 だと言えます。

 マイケル・オーウエンは宿敵ユナイテッドの一員としてプレミア優勝を体験しましたが、彼も本心は古巣でこの優勝を味わ
痛かったと思います。

 ちなみにオーウエン同様今季で引退するジェイミー・キャラガーも、リーグ優勝とは無縁の状態でした。

 ふたりは同期入団で、ラファエル・ベニテス就任まではジェラードも含めて、ユナイテッドをいつか追い越すとやる気に満
ち溢れていたはずです。

 「ジェラードが引退して味わうリーグ優勝」

 それは彼もファンも、決して味わい深くないはずです。
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サッカーゲームも持ち運びの時代へ

2013-04-22 01:04:52 | 日記
 数年前「WCCF」というゲームセンターで遊べるサッカーゲームが大人気でした。

 当時カルチョ2002には、カズをデザインした「カズ・カード」を付録に付け、選手とファンの両方から絶賛されたと
聞きました。

 そのサッカーゲームは今、パソコンと携帯電話に集約されつつあり、ワールド・サッカーダイジェストもおまけとして、
イタリアのパニーニ(日本の版権はバンダイ)が開発した

 「パニーニ・フットボールリーグ」

 のカードをおまけに付けましたね。

 パニーニはカズがジェノアに移籍した1995年から日本でも知られるようになれ、僕もカードを集めていたときには
随分とお世話になりました。

 エポック社のJリーグと日本代表、英国のフュテラが手掛けるプレミアのカードは当時大人気で、パニーニも含めてこ
の3社のシェアは随分大きかったはずです。

 日本では

 「プロ・サッカークラブをつくろう」

 がパソコン上で楽しめる物の代表でしたが、僕は遊んだことはありません。

 僕は携帯電話、そしてスマートフォンのゲームで遊ぶ予定は無く、プレイ・ステーション、プレイ・ステーション・ビ
スタのような通常のゲーム機も所有していません。

 ただ、携帯電話という文字通り軽量で持ち運びが便利な上、電車がバスという移動手段の中で遊べるゲームの需要は、
今後も増えてゆくのでしょう。

 僕のように本を読む、新聞を読み返す行動は、携帯をいじるという行為に様変わりしてゆくのでしょう。

 傍から見ていると乗客の大半が携帯に見入っているのは摩訶不思議なのですが、彼らからすれば当然の光景でしょうね。
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小野、わずか1年でウエスタン・シドニーの顔となる

2013-04-22 00:55:11 | 日記
 「小難しいことを考えなくても良いのだなあ。」

 先ほど「やべっちFC]の中で、Aリーグプレイオフ決勝の模様が放送され、小野伸二が在籍するウエスタン・シドニー
は準優勝に終わりました。

 試合終了後には

 「シンジ・オノ!!」

 と大きな声でアナウンスが流れ、スタジアムに詰めかけたファンはこの日本人に大きな拍手を贈っていました。

 「日本は永遠に俺たちの陰」

 この弾幕が張られたワールドカップ予選の対オーストラリア戦は、日本が勝利を奪えず歯がゆい思いをしたものですが、
逆に日本人の発想の豊かさを、小野が改めて見せてくれたことは良かったですね。

 小野が熾烈な獲得合戦の中で1998年にレッズに入団しプロの歩みを始めたころから現在まで、ここまで溌剌とプレイ
出来た時間は

 「今回が初めて」

 かもしれません。

 2000年をJ2で戦い、故障の為五輪を断念
 2002シーズンにはフェイノールトでUFFAカップを勝ち取るも、その後は尻すぼみの印象を与える
 2010年故郷のエスパルスに入団も、昨年ゴトビ監督の方針により、オーストラリアへ移籍する

 というように、小野はその卓越した技術と、関係者が目を見張るほどサッカーに適した筋肉と骨格を持って誕生しました
が、プロには勝利と責任が必ず存在します。

 高校時代もそえは同じですが、その重みの違いが彼を覆ってしまう部分があったと思います。

 Aリーグは日本、ドイツ、オランダ、そのいずれよりも自分の想像力を活かせる間合い、時間が存在し、同時に彼の技量
を監督もファンも素直に受け入れてくれるのでしょう。

 「サーカスは必要ない」

 と、選手の閃きを糾弾する監督もいますから、本来10年前に踏むはずだったシドニーの地で、小野伸二は今最高の時間
を過ごしているように思います。
 
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