goo blog サービス終了のお知らせ 

癌と生きる 依存症と生きる

命がある限り希望を持つということ

どんな人が依存症になるのか

2013-11-17 09:50:57 | ギャンブル依存症
ふたつ前のブログで田辺等先生の「ギャンブル依存症」
という本を紹介した。

この本はギャンブル依存症という病気を理解する上で大切なことが
色々な実例をあげて、とても丁寧に、しかも分かりやすく書かれている。
そしてこの本に書いてあることは、ギャンブル依存症だけでなく
依存症というものの本質を知るためにもとても有用だと思う。
だからできることならギャンブル以外でも
依存症の問題で悩んでいる人には一度読んでもらえたらと思う。

そしてこの本をまだ読まれたことがない人のために
少し内容を要約して紹介しようと思う。
「どんな人が依存症になるのか」というのは第5章のタイトル。

この章ではギャンブル依存症患者の性格の傾向として
物静かで口数が少ない、おとなしく対人関係が苦手
自己評価は低いが自分への要求水準は高い、自尊心は強く
頑固で負けず嫌いといった特徴が挙げられているが
社会生活に著しく適応できないパーソナルティ障害の例は極めて少ない
と述べられている。

つまり依存症になるまでは特に大きな問題もなく
学校、家庭、職場などの社会環境に適応しているように見えたが
内面では葛藤があり、他者に対して不平や不満を抱いている人ということであり
更に言えば、自分の思っていることを素直に表現することができず
優越感と劣等感の間で気持ちが揺れていていつも生き辛さを感じており
そのフラストレーションのはけ口を「何か」に求めてしまうということだろうか。

特に自尊心が強く頑固で負けず嫌いという性格は
裏を返せば「弱音を吐くことができない」「勝ちにこだわり負けを認めることが
苦手」ということであり、その結果一層フラストレーションがつのるという
「卵が先か、鶏が先か」のような悪循環を招くことになる。

その結果、依存症の中でもギャンブルやゲームといった勝負事に依存する人は
バーチャルな世界の中で、圧倒的な勝利や大金を手にした強烈な快感で
脳内物質の分泌の仕方にまで変化が起こり
完治することのできない依存症にかかってしまうということなのだろう。

それでギャンブル依存症に限らず、様々な依存症において
グループカウンセリングが有効であると言われるのはなぜかということを
私なりに考えてみた。
それはグループカウンセリングをやったから依存症が治るということではなく
依存症の人が長い間自分の心の奥底に封じ込めてきた葛藤を
同じ思いを共有する人たちと話すことで外に出す
自分の心を解放することがまずは回復への第一歩になるからなのだと思う。

だからAA(アルコールアノニマス)やGA(ギャンブラーズアノニマス)
といったグループカウンセリングを行う依存症の自助グループは
完全な匿名性で自分のプライバシーを明かす必要はなく
ありのままの自分をさらけだしてもいいように
そこでの発言は言いっぱなしの聞きっぱなしで
誰からも否定も非難されることがないという約束に基づいている。

「ありのままの自分を肯定する」
これは依存者が回復に向かうためにはとても大事なことで
依存症の患者を抱える家族にもまた要求されることなのだと思う。
けれど精神医学の専門家でもない普通の人間
しかもそれまでさんざんひどい目に合わされて
できることなら殺してやりたいと思っているような家族が
依存者に対して、いっさい批判も非難も無視もせずに
根気強く向き合うことは、現実にはありえないほど難しく
それができたらもう神や仏の領域だと私なぞは内心思っている。

まあ依存症というものはかくも厄介で面倒くさい代物なのだ。
この前「メンタリスト」というドラマを見ていたら
脳医学で道徳エンジンというものを脳に設置できるという話をやっていて
それは電波かなにかで人間を良い人や悪い人にできるというのだが
現実には脳を破壊するほうのシステムはどんどん多様化し進化しているのに
回復させたり良くする手段はものすごくアナログで
解明も治療方法も全く前進しないというのは
何かとても理不尽な感じがするのだが。