新年明けましておめでとうございます。
ずっと更新しないままだったにも関わらず
今でも週に100人程度訪問してくださる方がおられて
大変ありがたく感じると同時に、そのことが
ギャンブル依存症の問題がどれほど多くの人たちを苦しめているかの
証でもあると身を持って感じています。
昨年の2月に任意整理が終わり、4月には長い年月
私の心の支えになってくれた愛猫との別れがあって
去年は自分自身にとって色々な意味で一つの区切りになった
そんな一年でもあったと思えました。
ダンナの依存症がどの程度回復しているのかいないのか
本当のところは、本人が自分の口から自分の思いを
正直に話さない限りはおそらく永久に分かりません。
ただダンナが何か変わったとすれば
それは多分私がもう何が起きても本当に何もできないのだということを
何となくにしても理解したということなのではないかと思います。
そこまでの二十年ほどはとにかく子どもたちを守るために
自分はどんなことでもできるという強い思いがありました。
「ギャンブルで借金まみれの馬鹿な親のために
子どもの夢や将来を奪うようなことはさせない」
「家に借金取りが押しかけるようなことにならない」
「子どもの笑顔をなくすような生活をさせない」
それは一つには自分自身が決して安定した家庭環境で育たなかったことへの
強烈な反動でもあったと思います。
思春期に親に対して「別にあなたの子どもに生んでくれと頼んだわけではない」
とストレートにぶつけた思い、子どもは生まれてくる環境を自ら選べない
理不尽さへの言いようのない憤りは
社会や人間に対する変えようのないネガティブな価値観を形成して
それは自分の子どもを自分のような人間にしたくないという
裏返しのシャカリキなエネルギーになって私を動かし続けてきました。
それでも迷惑をかけなかったわけではないけれど
長年苦しみ続けた借金の問題にメドがつき
子どもたちが何とか真っ当に社会でやっていけるようになった時に
私は私を動かし続けたそのパワーがすべてついえたように感じました。
ここから先はたとえダンナがスリップして
ヤミ金のようなところから借金をしてこようが
さらには返済に困って最悪の場合犯罪を犯したとしても
もう私にできることは何もない。
署名をしてある離婚届けにダンナの名前を書いてもらって離婚をし
本当にダンナとの縁を切って生活保護を受けて残りの人生を生きていく。
ダンナがその後ホームレスになって行き倒れて死のうが
刑務所で余生を終わろうが、たとえ死んだあとで無縁仏になろうが
それはまさにダンナが自分自身で選択した未来なのだから
誰を恨むこともなく自分自身で自分の人生の責任を取ってほしい。
今はもう憎しみでも恨みでもなくただそう思っています。
ギャンブル依存症とはそういう「回復に向かえるのは本人だけ」という
まさにそういう病気であるということなのです。
任意整理を始めた頃に何度か言った
「もう私はこれ以上何もできるような気がしない」という言葉の本当の意味を
ダンナ自身が理解したと同時に
私自身もかれこれ30年近くに渡って苦しみ続けた
ギャンブルの絡んだ問題から自分を解放することができた時期だったと思います。
けれどこのブログで先日リンクをした「ギャンブル依存症~家族のための
情報サイト」の掲示板には、クリスマスの日も年末年始も
ご主人の、あるいは肉親の依存症に悩む人たちの書き込みが
刻々と寄せられています。
今新しい年を迎えたのを機に、私はこのブログを近々
そうしたギャンブル依存症に悩む家族の人たちのために
何とかより具体的な情報を少しづつでも提供できるサイトにしたいと考えます。
次の更新までまたしばらくお時間をいただくことになると思いますが
どうか今年もよろしくお願いいたします。
ずっと更新しないままだったにも関わらず
今でも週に100人程度訪問してくださる方がおられて
大変ありがたく感じると同時に、そのことが
ギャンブル依存症の問題がどれほど多くの人たちを苦しめているかの
証でもあると身を持って感じています。
昨年の2月に任意整理が終わり、4月には長い年月
私の心の支えになってくれた愛猫との別れがあって
去年は自分自身にとって色々な意味で一つの区切りになった
そんな一年でもあったと思えました。
ダンナの依存症がどの程度回復しているのかいないのか
本当のところは、本人が自分の口から自分の思いを
正直に話さない限りはおそらく永久に分かりません。
ただダンナが何か変わったとすれば
それは多分私がもう何が起きても本当に何もできないのだということを
何となくにしても理解したということなのではないかと思います。
そこまでの二十年ほどはとにかく子どもたちを守るために
自分はどんなことでもできるという強い思いがありました。
「ギャンブルで借金まみれの馬鹿な親のために
子どもの夢や将来を奪うようなことはさせない」
「家に借金取りが押しかけるようなことにならない」
「子どもの笑顔をなくすような生活をさせない」
それは一つには自分自身が決して安定した家庭環境で育たなかったことへの
強烈な反動でもあったと思います。
思春期に親に対して「別にあなたの子どもに生んでくれと頼んだわけではない」
とストレートにぶつけた思い、子どもは生まれてくる環境を自ら選べない
理不尽さへの言いようのない憤りは
社会や人間に対する変えようのないネガティブな価値観を形成して
それは自分の子どもを自分のような人間にしたくないという
裏返しのシャカリキなエネルギーになって私を動かし続けてきました。
それでも迷惑をかけなかったわけではないけれど
長年苦しみ続けた借金の問題にメドがつき
子どもたちが何とか真っ当に社会でやっていけるようになった時に
私は私を動かし続けたそのパワーがすべてついえたように感じました。
ここから先はたとえダンナがスリップして
ヤミ金のようなところから借金をしてこようが
さらには返済に困って最悪の場合犯罪を犯したとしても
もう私にできることは何もない。
署名をしてある離婚届けにダンナの名前を書いてもらって離婚をし
本当にダンナとの縁を切って生活保護を受けて残りの人生を生きていく。
ダンナがその後ホームレスになって行き倒れて死のうが
刑務所で余生を終わろうが、たとえ死んだあとで無縁仏になろうが
それはまさにダンナが自分自身で選択した未来なのだから
誰を恨むこともなく自分自身で自分の人生の責任を取ってほしい。
今はもう憎しみでも恨みでもなくただそう思っています。
ギャンブル依存症とはそういう「回復に向かえるのは本人だけ」という
まさにそういう病気であるということなのです。
任意整理を始めた頃に何度か言った
「もう私はこれ以上何もできるような気がしない」という言葉の本当の意味を
ダンナ自身が理解したと同時に
私自身もかれこれ30年近くに渡って苦しみ続けた
ギャンブルの絡んだ問題から自分を解放することができた時期だったと思います。
けれどこのブログで先日リンクをした「ギャンブル依存症~家族のための
情報サイト」の掲示板には、クリスマスの日も年末年始も
ご主人の、あるいは肉親の依存症に悩む人たちの書き込みが
刻々と寄せられています。
今新しい年を迎えたのを機に、私はこのブログを近々
そうしたギャンブル依存症に悩む家族の人たちのために
何とかより具体的な情報を少しづつでも提供できるサイトにしたいと考えます。
次の更新までまたしばらくお時間をいただくことになると思いますが
どうか今年もよろしくお願いいたします。