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癌と生きる 依存症と生きる

命がある限り希望を持つということ

閑話休題 ねこのこと

2008-05-26 10:16:02 | ねこの話
管理人のりょうです。

二十年以上、家庭の様々な問題を
ひとりで何とかしようともがいてきました。

でも……もう限界を超えていたのだと思います。
今まであまり吐いたことのない弱音を
さらけだせる場所と思ってブログを始めました。

他のブログを見ると
依存症の家族を抱えてがんばってきた方も
たくさんおられました。
それを読むと自分まだまだだなあとも思います。
けれどもうあまりがんばらない。
弱音を吐くことがみっともないことだと思わない。
心が落ちている場所から
少しでも上がるためにリハビリと思って書いてます。

猫は飼い主の苦難なんかなんのその。
自分がしたいように振る舞い
欲しいものをねだり
気に入らなければ噛み付く、引っかく。
よくまあ、これほど自己中なと
感心するほど勝手気ままに十八年生きてました。

うちに来てすぐに避妊手術に連れて行った時
「一歳半くらいですね」と言われたので
やっぱり今は二十歳近くなっているはずです。

でもまだ全力疾走もするし
押入れの天袋にも駆け上がり衰えている風はありません。
それを見ていて
この子を置いて私が死んじゃったら
かわいそうだよなと思っています。

以前作家の桐野夏生さんがコラムに
自分のお母さんと猫の話を書いておられました。
老猫が死んで「新しい猫を飼ったら」と勧めたけれど
お母さんは「もう最後まで面倒を見られないから」と
それを拒絶されたという話で
桐野さんは動物を飼うことは
「命を引き受ける覚悟」なのだと表現されていました。
これは子育てでもまったく同じで
子供を生んで育てるというのは
その子がなんとかひとり立ちできるまでの
十五年なり十八年なりを支えてやる覚悟だと思います。

案外猫は「自分がいなくなったらお母さんが」と
実はもうへろへろなのに
無理してがんばってくれているのかもしれません。

猫は家に付くと言います。
私がダンナと離婚しなかった最大の理由は
年を取った猫に新しい環境で苦労させたくなかった。
それだけのような気もします。

そして私も取り合えずこの子が住み慣れたこの家で
最後の時を迎えるまで
そこまでがんばればいいかなというのが本音なのです。


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